土岐頼功
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政12年(1800年)10月 |
死没 | 天保14年4月24日(1843年5月23日) |
墓所 | 東京都品川区北品川の東海寺春雨庵 |
官位 | 従五位下、山城守 |
幕府 | 江戸幕府 奏者番 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 上野沼田藩主 |
氏族 | 堀氏→土岐氏 |
父母 |
父:堀親長、母:不詳 養父:土岐頼潤 |
兄弟 | 堀親忠、有馬氏恕、堀親民、堀親寚、頼功、遠藤胤富正室、秋月種備正室ら |
妻 | 土岐頼潤の次女 |
子 |
鈴子ら 養子:西尾忠受正室、頼寧 |
土岐 頼功(とき よりかつ)は、江戸時代後期の大名。上野国沼田藩の第9代藩主。官位は従五位下・山城守。沼田藩土岐家第12代。
略歴
[編集]信濃国飯田藩主・堀親長の九男として江戸にて誕生した。享和3年(1803年)10月11日生まれともされる。
文政9年(1826年)11月16日、先代の土岐頼潤が死去したため、その末期養子となって跡を継いだ。同年12月1日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下・山城守に叙任する。文政11年(1828年)9月1日、奏者番となった。天保11年(1840年)4月12日、病気を理由に奏者番を辞める。
天保の大飢饉では、領内に大被害を受けている。天保11年(1840年)6月7日、隠居して養子の頼寧(頼潤の実子)に家督を譲る。天保14年(1843年)4月24日、44歳で江戸にて死去した。墓所は萬松山東海寺春雨庵。
系譜
[編集]父母
正室
- 鍼 - 土岐頼潤の次女
子女
養子、養女