コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

西尾忠受

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
西尾忠受
時代 江戸時代後期 - 末期(幕末
生誕 文政4年4月15日1821年5月16日
死没 文久元年7月26日1861年8月31日
諡号 華渓
戒名 高俊院仙峰道安
墓所 静岡県掛川市西大渕の龍眠寺
官位 従五位下、式部少輔、隠岐守
幕府 江戸幕府
遠江国横須賀藩
氏族 西尾家(後期東条吉良氏庶流)
父母 父:酒井忠実、母:隆姫(西尾忠移の娘)
養父:西尾忠固
兄弟 三宅康直松平忠固忠受
正室:土岐頼布の娘
忠篤本多忠恕(四男)、娘(堀直武正室)、
育(松平信正室)、娘(平松時厚室)、
娘(加納某室)
テンプレートを表示

西尾 忠受(にしお たださか)は、遠江横須賀藩の第7代藩主。横須賀藩西尾家10代。

文政4年(1821年)に生まれる。播磨姫路藩酒井忠実の三男で、酒井忠学の養弟にあたるとされている。天保13年(1842年)10月16日、母・隆姫の実家である横須賀藩の第6代藩主西尾忠固の養子となる。同年12月22日、将軍徳川家慶に拝謁する。同年12月22日、従五位下・式部少輔に叙位・任官する。天保14年(1843年)8月7日、忠固の隠居により家督を継ぎ、隠岐守に転任する。

弘化3年(1846年)6月18日、奏者番に任じられる。藩政においては茶や樹木の栽培に尽力し、藩財政再建を目指した。また自ら絵画に造詣が深く、華渓と号した。

文久元年(1861年)7月26日、江戸の外桜田屋敷で死去した。享年41。跡を長男の忠篤が継いだ。

系譜

[編集]

父母

正室

子女