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遠藤胤富

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
遠藤胤富
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦13年2月20日1763年4月3日
死没 文化11年9月24日1814年11月5日
改名 陽五郎(幼名)→松平復亨→遠藤胤富
別名 主膳(通称
戒名 自徳院素行
墓所 東京都台東区西浅草長敬寺
官位 従五位下、備前守、左近将監
幕府 江戸幕府 大番頭
近江三上藩
氏族 大河内松平家遠藤氏
父母 父:松平信復、母:折江(小林氏)
養父:遠藤胤忠
兄弟 某、松平信礼、某、松平信正本庄道揚、壬次、胤富
振(池田政香室)、悦(鍋島直益室)、元(大久保教和養女)
堀親長の娘
娘・恭寿院(遠藤胤統室)
養子:胤統
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遠藤 胤富(えんどう たねとみ)は、近江三上藩の第4代藩主。三上藩遠藤家9代。

生涯

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宝暦13年(1763年)2月20日、三河吉田藩主・松平信復の七男として江戸の吉田藩谷中下屋敷で生まれる。明和2年(1765年)1月15日、信復が幕府に丈夫届を提出した際に公年を水増ししたため、以後公的には宝暦11年(1761年)生まれとされた。天明5年(1785年)10月12日、近江三上藩の第3代藩主・遠藤胤忠の養子となり、寛政2年(1790年)2月20日に胤忠の隠居により家督を継いだ。家督相続後の6月14日に江戸城竹橋門番に任じられ、11月27日に従五位下・備前守に叙位・任官する。12月26日に大番頭に任じられたが、寛政3年(1791年)6月7日に全ての職を辞職している。

享和元年(1801年)8月6日、左近将監に遷任する。文化元年(1804年)5月2日、竹橋門番に再任され、文化4年(1807年)6月22日まで務めた。

文化8年(1811年)6月23日、病気により家督を婿養子胤統に譲って隠居する。文化11年(1814年)9月24日に死去した。享年52(公的には54)。

系譜

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父母

正室

子女

養子