黒田直方
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 安永7年8月28日(1778年10月18日) |
死没 | 天保3年4月17日(1832年5月17日) |
改名 |
十五郎(幼名)、直服(初名)→直方、 左兵衛入道(法名) |
戒名 | 観樹院入道正眼 |
墓所 | 埼玉県飯能市の能仁寺 |
官位 | 従五位下、豊前守、左兵衛佐 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上総国久留里藩主 |
氏族 | 黒田氏 |
父母 | 父:黒田直亨、養父:黒田直温 |
兄弟 |
直英、直方、泉七郎、直清、津軽親足、 九十郎、巳津弥 |
妻 |
正室:牧野宣成の娘・久子(慧光院) 継室:京極高備の娘・悦子 |
子 |
直明、美恵、直静、玄之助、直剛、曲淵直端、 クマ(板倉勝職継々室のち鍋島直孝正室)、 娘(知久頼匡室)、娘(三井孫十郎室)、 直古(七男、直養父)、神田直生、 娘(新庄茂之丞養女)、娘(高山平左衛門養女) 養子:直侯 |
黒田 直方(くろだ なおかた)は、上総久留里藩の第5代藩主。久留里藩黒田家6代。
安永7年(1778年)8月28日、第2代藩主・黒田直亨の妾腹の三男として江戸下谷邸で生まれる。
享和元年(1801年)、甥の第4代藩主・直温が嗣子なくして死去したため、その養子として家督を継いだ。
12月に従五位下、豊前守に叙位・任官する。初名は直服(なおこと)であったが、文化2年(1805年)8月28日に直方と改名する。
文化8年(1811年)に嫡男の直明が早世し、次男(庶子)の直静も幼少であったため、文化9年(1812年)9月13日、養子の直侯(酒井忠徳の子)に家督を譲って隠居した。11月には左兵衛佐に任官する。
文化10年(1813年)11月、剃髪して左兵衛入道と号した。
天保3年(1832年)4月17日に死去した。享年55。
系譜
[編集]父母
正室、継室
子女
- 黒田直明(長男)
- 美恵
- 黒田直静(次男)
- 玄之助
- 黒田直剛
- 曲淵直端
- クマ ー 板倉勝職継々室のち鍋島直孝正室
- 知久頼匡室
- 三井孫十郎室
- 黒田直古(七男)
- 神田直生
- 新庄茂之丞の養女
- 高山平左衛門の養女
養子