黒田直英
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦8年4月25日(1758年5月31日) |
死没 | 天明6年7月18日(1786年8月11日) |
戒名 | 雄山直英泰崇院 |
墓所 | 埼玉県飯能市の能仁寺 |
官位 | 従五位下、大和守、和泉守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上総国久留里藩主 |
氏族 | 黒田氏 |
父母 |
父:黒田直亨 母:有馬氏久の娘・為子(盛陽院) |
兄弟 |
直英、直方、泉七郎、直清、津軽親足、 九十郎、巳津弥 |
妻 | 正室:松平信礼の娘・品子(祇園院) |
子 | 三五郎、直温、直行(三男) |
黒田 直英(くろだ なおひで)は、上総久留里藩の第3代藩主。久留里藩黒田家4代。
宝暦8年(1758年)4月25日、第2代藩主・黒田直亨の長男として江戸石原の下屋敷で生まれる。
はじめ父は初代藩主・直純の次男の直弘を養子として迎えていたが、安永5年(1776年)9月に直弘が病気を理由に家督相続を辞退したため、代わって世子に指名された。
安永6年(1777年)12月、従五位下、大和守に叙位・任官する。天明4年(1784年)、父の死去により家督を継ぐ。
藩財政再建に尽力するが、天明5年(1785年)に大坂加番に任じられて大坂に赴任していた最中の天明6年(1786年)7月18日、大坂城において死去した。享年29。跡を次男の直温が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 品子、祇園院 ー 松平信礼の娘
子女