京都ロイヤルホテル&スパ
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京都ロイヤルホテル&スパ | |
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ホテル概要 | |
運営 | イシン・ホテルズ・グループ |
前身 | 京都ロイヤルホテル |
階数 | 地下1 - 10階 |
部屋数 | 355室 |
開業 | 1972年10月 |
最寄駅 | 京都市営地下鉄京都市役所前駅 |
最寄IC | 名神高速道路京都東IC、京都南IC |
所在地 |
〒604-8005 京都市中京区河原町三条上ル |
位置 | 北緯35度0分35.9秒 東経135度46分10.1秒 / 北緯35.009972度 東経135.769472度 |
公式サイト | 公式サイト |
京都ロイヤルホテル&スパ(KYOTO Royal Hotel & SPA)は、京都府京都市中京区河原町三条にあったシティホテル。運営はイシン・ホテルズ・グループ。
沿革
[編集]1972年10月、京都ロイヤルホテルとして開業[1]。1986年、西洋環境開発に買収され、セゾングループ入り[2]。2000年、西洋環境開発が経営破綻し、翌年に投資ファンドの維新ホスピタリティ・グループに買収された。維新ホスピタリティは京都ロイヤルホテルの買収を皮切りにホテル経営に乗り出し、2004年にイシン・ホテルズ・グループに改名した。2005年、スパ施設の新設に伴い、京都ロイヤルホテル&スパに名称を変更した[1]。2017年9月、不動産会社の東京建物が不動産信託受益権を取得[3]。施設の老朽化を理由に2018年1月31日限りで営業を終了することが発表され、ホテルを取り壊し、跡地に新たなホテルを建設する意向が示された[1]。
2020年7月に建物の解体が開始され[4]、2021年7月には、地下2階地上9階建てのホテルを跡地に建設する計画が発表された。また、敷地に隣接するカトリック河原町教会の増築も行われるという[5]。
エピソード
[編集]- 京都ロイヤルホテル時代の1981年5月28・29日、第39期名人戦の第5局の会場となり、中原誠名人が挑戦者の桐山清澄八段を下し、防衛を果たした[6]。
- 1階エレベータ脇の壁の石材には、5cmほどのアンモナイトの化石が埋まっており、観察することができた[7]。
- 江戸時代に同地には対馬府中藩京都藩邸が存在した[8]。
脚注
[編集]- ^ a b c 近藤大介 (2017年9月13日). “京都ロイヤルホテル閉業 1月末売却先建て替えも”. 京都新聞
- ^ 『西武セゾン連邦―堤清二の「全国ネットワーク戦略」構想』ソフトバンククリエイティブ、1988年9月1日、103頁。ISBN 978-4890520077。
- ^ “京都市役所近くの京都ロイヤルホテル&スパを取得/営業終了後に建て替えへ/東京建物”. 建設ニュース. 2022年1月22日閲覧。
- ^ “ビルの解体工事が始動/18年1月に営業終了の京都ロイヤルホテル&スパ/東京建物”. 建設ニュース. 2022年1月22日閲覧。
- ^ “京都ロイヤルホテル&スパ跡地に9階建てホテルを計画/敷地南側の教会も増築/東京建物など”. 建設ニュース. 2022年1月22日閲覧。
- ^ 将棋世界編集部『将棋世界「将棋名人戦」?昭和・平成時代を映す名勝負?』マイナビ、2014年8月30日、102頁。ISBN 978-4839953119。
- ^ 三宅隆三、 川瀬信一『化石ウォッチング in City』保育社、1993年6月1日、66頁。ISBN 978-4586508495。
- ^ 森谷尅久『地名で読む京の町 上 洛中・洛西・洛外編』PHP新書、2003年5月16日。ISBN 978-4569626796 。