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京都市左京区の町名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
京都市 > 左京区 > 町名
左京区の位置

本項京都市左京区の町名(きょうとしさきょうくのちょうめい)では、同区内に存在する公称町名を一覧化するとともに、その成立時期・成立過程等について概説する。

区の概要

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京都市街地の東北方、鴨川(賀茂川)の東岸に位置し、北方の大原、鞍馬などの山間部を含んだ広大な面積を有する。区域は南北に長く、最北端は標高959メートルの三国岳山頂である。区の東は京都府と滋賀県の府県境をなし、滋賀県大津市及び高島市に接する。府県境に位置する比叡山の西側は当区に属する。区の南は東山区及び山科区、北は京都府南丹市(美山地区)、西は右京区(京北地区)及び北区に接し、南端近くの一部が上京区及び中京区に接する。面積246.88平方キロメートル。2009年3月現在の推計人口は約166,000人。

区の南部には平安神宮南禅寺慈照寺(銀閣寺)、下鴨神社(賀茂御祖神社)、修学院離宮などの著名社寺や史跡があり、岡崎公園ロームシアター京都(京都会館)、京都国立近代美術館京都市動物園京都大学吉田キャンパス、京都府立植物園京都府立京都学・歴彩館国立京都国際会館などの施設もある。

区の中部から北部は人口密度の低い山間部である。東には国道367号鯖街道、若狭街道)が通り、比叡山の西の登り口である八瀬地区、三千院寂光院のある大原地区を通って若狭方面へ通じている。西には京都府道38号京都広河原美山線(鞍馬街道)が通り、鞍馬寺のある鞍馬地区、花脊、広河原を通って南丹市方面へ通じている。区の最北端の久多地区は左京区内の他地区と同様にかつて京都府愛宕郡(おたぎぐん)に属したが、地理的には東の滋賀県方面とのつながりが強い。

当区は昭和4年(1929年)、当時の上京区から分区して成立したものである。成立当時の区域は下鴨各町、北白川各町を含んでそれより南の地区のみであった。昭和5年(1930年)に東山区との区境変更があり、区南端の粟田口地区の一部が東山区に編入された。愛宕郡からは、昭和6年に修学院村松ケ崎村、昭和24年(1949年)に岩倉村・八瀬村・大原村・静市野村・鞍馬村・花脊村・久多村を編入した。昭和32年(1957年)には北桑田郡京北町の一部(大字広河原)を編入し、現在の区域となった。

町名の概要

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京都市内の町名には「大原来迎院町」のように旧村名・旧大字名に由来する広域地名(上記例の場合は「大原」)を冠称するものと、「亀屋町」・「菊屋町」のような単独町名とがある。左京区内の町名は区の南西端の二条川東地区にある29町と、永観堂町、永観堂西町、銀閣寺町、銀閣寺前町、黒谷町、若王子町が単独町名で、他は旧大字名などの地区名を冠した複合町名である。

区内の公称町名の数は、『角川日本地名大辞典 26 京都府』下巻によれば1980年現在569町であった。その後、一部地区で土地区画整理事業実施等に伴う町名町界の変更があり、12 町が新たに設置、7町が廃止されて、2009年現在は574町となっている。

区内には「修学院音羽谷」・「松ケ崎東山」のように、末尾に「町」をつけない町名が一部に存在する。これらは、いずれも昭和6年(1931年)に編入された地区であり、山間部などで、昭和6年の町名成立時において当該区域内に人家が存在しなかったものである。

公称町名一覧

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単独町名

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旧上京第32・33組

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元学区 公称町名 町数
川東学区 下堤町、新生洲町、東丸太町、東竹屋町、中川町、秋築町、難波町、大文字町、石原町、吉永町、杉本町、新先斗町 12
新洞学区 正往寺町、東門前町、福本町、法皇寺町、和国町、頭町、新東洞院町、菊鉾町、讃州寺町、新車屋町、大菊町、超勝寺門前町、新丸太町、孫橋町、法林寺門前町、北門前町、南門前町 17

区の南西端、鴨川の東、二条通の南北の地区の町名は、広域地名を冠しない単独町名となっている。この地区は二条川東と称され、宝永5年(1708年)の洛中の大火後、移転により新たな町がつくられたものが多い。

現行の町名、町界は近世のそれがおおむね引き継がれている。ただし、新東洞院町、菊鉾町、新車屋町、大菊町、新丸太町は明治2年(1869年)に近隣の数か町が合併して成立した町名であり、石原町は明治16年(1883年)[注釈 1]愛宕郡聖護院村の一部が当時の上京区に編入された際に成立したものである。

明治元年(1868年)、京都府が成立すると、京都市街の町は上京1 - 45番組と下京1 - 41番組に組織され(第一次町組改正)、翌明治2年には三条通を境に北側が上京1 - 33番組、南側が下京1 - 33番組に再編された(第二次町組改正)。上述の単独町名はこの第二次町組改正後の上京第32番組及び第33番組にあたる。これらの町組は、その後たび重なる変遷を経て、明治25年(1892年)には上京区28、下京区32、計60の「学区」に組織された(明治以降の行政区画の変遷については「京都の元学区」を参照)。現在の左京区に属するのはそのうちの上京第27及び第28学区であり、昭和4年(1929年)には小学校名を付してそれぞれ錦林学区及び新洞学区と呼称されるようになった。こうした京都市の学区は、昭和16年(1941年)に廃止され、現在では正式の地区名ではないが、その後も「元学区」として、地区の呼称に用いられており、上京第28学区(新洞学区)であった地域における現在の「元学区」名は新洞学区である[2]

一方、上京第27学区(錦林学区)は、元々上京第32組であった区域と後述の明治21年(1888年)に京都市に編入された区域(上京第34組を編成した)を合して成立しており、変遷を経て、元々上京第32組であった地域における現在の「元学区」名は川東学区である[2]。これは、錦林学区に置かれた6つの連合公同組合の1つである第六連合公同組合を改組して発足した川東町内会連合会の区域と名称を引き継いでいる。(錦林学区内の元学区については「錦林学区」を参照。)

上京第32・33番組の行政区画の変遷
明治2年 明治5年 明治12年 明治25年 昭和4-16年 連合公同組合名 町内会連合会名 戦後の元学区名
上京32番組 上京32区 上京32組 上京第27学区の一部 錦林学区の一部 錦林第六 川東 川東学区
上京33番組 上京33区 上京33組 上京第28学区 新洞学区 新洞 新洞 新洞学区

左京区全体の番組・学区等の変遷・一覧については、「京都の元学区#左京区」を参照。

旧上京第34組

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永観堂町、永観堂西町、銀閣寺町、銀閣寺前町、黒谷町、若王子町については、単独町名であるが、上述の「番組」に由来するものとは異なり、明治21年(1888年)に当時の上京区に編入され上京第34組を組成した地区において、大正7年(1918年)以降につけられたものである。これらの単独町名については「#明治21年(1888年)編入地区の町名」においてあわせて述べる。

明治21年(1888年)編入地区の町名

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旧村名 公称町名 町数[注釈 2]
岡崎村 岡崎入江町、岡崎真如堂前町、岡崎東福ノ川町、黒谷町、岡崎東天王町、岡崎天王町、岡崎法勝寺町、岡崎成勝寺町、岡崎最勝寺町、岡崎西天王町、岡崎徳成町、岡崎円勝寺町、岡崎南御所町、岡崎北御所町、岡崎西福ノ川町 14(15)
聖護院村 聖護院東町、聖護院中町、聖護院西町、聖護院川原町、聖護院円頓美町、聖護院山王町、聖護院蓮華蔵町、聖護院東寺領町 8
吉田村 吉田牛ノ宮町、吉田泉殿町、吉田上阿達町、吉田中阿達町、吉田下阿達町、吉田河原町、吉田橘町、吉田本町、吉田近衛町、吉田二本松町、吉田上大路町、吉田中大路町、吉田下大路町、吉田神楽岡町 14
南禅寺村 南禅寺北ノ坊町、永観堂町、永観堂西町、南禅寺下河原町、南禅寺草川町、南禅寺福地町、南禅寺南禅寺山町、南禅寺風呂山町 6(8)

町名に「岡崎」を冠する地区は、もとの愛宕郡(おたぎぐん)岡崎村である。岡崎村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され(新設された上京第34組に所属)、上京区岡崎町となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区岡崎町となった。大正7年(1918年)には岡崎町を廃止し、「岡崎」を冠する13町及び黒谷町(冠称なし)に編成された。これら14町は、昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。その後、昭和33年に岡崎東天王町が成立し、「岡崎」を冠する町名は計14、その他の町名1(黒谷町)となっている。

町名に「聖護院」を冠する地区は、もとの愛宕郡聖護院村である。聖護院村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され(新設された上京第34組に所属)、上京区聖護院町となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区聖護院町となった。大正7年(1918年)には聖護院町を廃止し、「聖護院」を冠称する8町に編成された。これら8町は、昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。

町名に「吉田」を冠する地区は、もとの愛宕郡吉田村である。吉田村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され(新設された上京第34組に所属)、上京区吉田町となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区吉田町となった。大正7年(1918年)には吉田町を廃止し、「吉田」を冠称する14町に編成された。これら14町は、昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。

町名に「南禅寺」を冠する地区は、もとの愛宕郡南禅寺村である。南禅寺村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され(新設された上京第34組に所属)、上京区南禅寺町となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区南禅寺町となった。大正7年(1918年)には南禅寺町を廃止して、「南禅寺」を冠称する4町、永観堂町(冠なし)が成立。残余は「町」をつけない「南禅寺」となる。これら6町は、昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。昭和33年、永観堂西町(冠なし)が成立。

昭和40年(1965年)に当時の京都市内各所に残存していた「字XX」の区域はすべて「XX町」と改称された。これに伴い、元の「南禅寺」であった区域は南禅寺南禅寺山町、南禅寺風呂山町となった。以上により、現在は「南禅寺」を冠する町名が6、その他の町名が2(永観堂町、永観堂西町)となっている。

旧村名 公称町名 町数[注釈 2]
粟田口村 粟田口鳥居町、粟田口大日山町、粟田口山下町、粟田口入会山町、粟田口如意ケ嶽町 5
鹿ケ谷村 鹿ケ谷寺ノ前町、鹿ケ谷西寺ノ前町、鹿ケ谷高岸町、若王子町、鹿ケ谷宮ノ前町、鹿ケ谷上宮ノ前町、鹿ケ谷下宮ノ前町、鹿ケ谷桜谷町、鹿ケ谷法然院町、鹿ケ谷法然院西町、鹿ケ谷御所ノ段町、鹿ケ谷大黒谷町、鹿ケ谷菖蒲谷町、鹿ケ谷栗木谷町、鹿ケ谷不動山町、鹿ケ谷若王子山町、鹿ケ谷善気山町、鹿ケ谷徳善谷町、鹿ケ谷多頂山町 18(19)
浄土寺村 銀閣寺町、銀閣寺前町、浄土寺上南田町、浄土寺南田町、浄土寺下南田町、浄土寺真如町、浄土寺上馬場町、浄土寺馬場町、浄土寺下馬場町、浄土寺東田町、浄土寺西田町、浄土寺石橋町、浄土寺打越町、浄土寺広帖町、浄土寺提灯山町、浄土寺七廻り町、浄土寺小山町、浄土寺大山町 16(18)

町名に「粟田口」(あわたぐち)を冠する地区は、もとの愛宕郡粟田口村である。粟田口村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され(新設された上京第34組に所属)、上京区粟田口町となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区粟田口町となった。大正7年(1918年)には粟田口町を廃止し、「粟田口」を冠称する4町(鳥居町、華頂町、鍛冶町、三条坊町)及び「町」字を付さない「粟田口」に編成された。これら5町は昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。翌昭和5年、粟田口地区の南部は東山区となり、「町」をつけない「粟田口」の一部と、粟田口鳥居町のみが左京区の所属となった。

昭和40年(1965年)、当時の京都市内各所に残存していた「字XX」の区域はすべて「XX町」と改称された。元の「左京区粟田口」の区域は粟田口大日山町、粟田口山下町、粟田口入会山町、粟田口如意ケ嶽町の4町となった。以上により、現在は「粟田口」を冠する町名は5となっている。

町名に「鹿ケ谷」(ししがたに)を冠する地区は、もとの愛宕郡鹿谷村である。鹿谷村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され(新設された上京第34組に所属)、上京区鹿ケ谷町となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区鹿ケ谷町となった。大正7年(1918年)には鹿ケ谷町を廃止し、「鹿ケ谷」を冠称する6町、若王子町(冠称なし)が成立。残余は「町」をつけない「鹿ケ谷」となる。これら8町は、昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。その後、昭和4年に法然寺西町、昭和33年に西寺ノ前町、上・下宮ノ前町が成立した。

昭和40年(1965年)、当時の京都市内各所に残存していた「字XX」の区域はすべて「XX町」と改称された。元の「左京区鹿ケ谷」の区域は「鹿ケ谷」を冠称する8町(大黒谷町、菖蒲谷町、栗木谷町、不動山町、若王子山町、善気山町、徳善谷町、多頂山町)となった。以上により、現在は「鹿ケ谷」を冠称する町名は18となっている。

町名に「浄土寺」を冠する町名の地区は、もとの愛宕郡浄土寺村である。浄土寺村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され(新設された上京第34組に所属)、上京区浄土寺町となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区浄土寺町となった。大正7年(1918年)には浄土寺町を廃し、「浄土寺」を冠する5町、銀閣寺町(冠称なし)が成立。残余は「町」がつかない「浄土寺」となる。これら7町は、昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。その後、昭和34年に銀閣寺前町(冠なし)及び「浄土寺」を冠称する東田町、上・下馬場町、上・下南田町が成立した。

昭和40年(1965年)、当時の京都市内各所に残存していた「字XX」の区域はすべて「XX町」と改称された。元の「左京区浄土寺」の区域は「浄土寺」を冠する6町(打越町、広帖町、提灯山町、七廻り町、小山町、大山町)となった。以上により、現在は「浄土寺」を冠する町名は16、その他の町名は2(銀閣寺町、銀閣寺前町)となっている。

大正7年(1918年)編入区域の町名

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旧田中村、白川村
公称町名 町数
田中里ノ前町、田中大堰町、田中東樋ノ口町、田中樋ノ口町、田中西樋ノ口町、田中飛鳥井町、田中門前町、田中上柳町、田中下柳町、田中関田町、田中里ノ内町、田中上玄京町、田中玄京町、田中馬場町、田中野神町、田中西浦町、田中南西浦町、田中上古川町、田中古川町、田中東高原町、田中高原町、田中西高原町、田中春菜町、田中東春菜町、田中西春菜町、田中大久保町、田中上大久保町、田中西大久保町、田中南大久保町、田中北春菜町 30
高野清水町、高野東開町、高野西開町、高野竹屋町、高野上竹屋町、高野玉岡町、高野泉町、高野蓼原町 8
北白川仕伏町、北白川上池田町、北白川下池田町、北白川上終町、北白川別当町、北白川小倉町、北白川東小倉町、北白川久保田町、北白川東久保田町、北白川西町、北白川東蔦町、北白川蔦町、北白川西蔦町、北白川追分町、北白川東平井町、北白川平井町、北白川西平井町、北白川伊織町、北白川琵琶町、北白川重石町、北白川小亀谷町、北白川向ケ谷町、北白川向イ谷町、北白川丸山町、北白川清沢口町、北白川地蔵谷町、北白川南ケ原町、北白川中山町、北白川蓬ケ谷町、北白川岩坂町、北白川外山町、北白川山田町、北白川山ノ元町、北白川大堂町、北白川上別当町、北白川下別当町、北白川東伊織町、北白川西伊織町、北白川瀬ノ内町、北白川東瀬ノ内町、北白川西瀬ノ内町、北白川堂ノ前町、北白川瓜生山町 43

田中」及び「高野」を冠する町名は、もとの愛宕郡田中村で、大正7年(1918年)、当時の上京区に編入された。田中村には田中、高野河原の2つの大字があったが、このうち大字田中は大正7年、「田中」を冠する17町に編成された。その後、以下のような町名町界の変更を経て、「田中」を冠する町は30町となっている。

  • (昭和14年成立)東・西高原町、春菜町、東・西春菜町、東樋ノ口町
  • (昭和18年成立)上古川町、上・西大久保町、西春菜町
  • (昭和35年成立)西樋ノ口町、南大久保町、南西浦町、上玄京町
  • (昭和35年廃止)西河原町

田中村大字高野河原は大正7年、「高野」を冠称する7町に編成された。その後、以下のような町名町界の変更を経て、「高野」を冠称する町は8町となっている。

  • (昭和18年成立)上竹屋町、東・西開町
  • (昭和18年廃止)上・下開町

北白川」を冠する町名は、もとの愛宕郡白川村で、大正7年(1918年)、当時の上京区に編入された。白川村には大字はなく、旧村域は大正7年、一部が「北白川」を冠する12町(仕伏町、上池田町、下池田町、上終町、別当町、小倉町、久保田町、西町、追分町、平井町、伊織町、琵琶町)に編成され、残余は大字北白川となった。

昭和40年(1965年)、当時の京都市内各所に残存していた「大字○○字XX」の区域はすべて「町」となり、「○○XX町」と改称された。元の大字北白川の区域は「北白川」を冠する13町となった。この他、以下のような町名町界の変更を経て、「北白川」を冠する町は43町となっている。

  • (昭和14年成立)東・西平井町、蔦町、東・西蔦町
  • (昭和23年成立)東・西伊織町、瀬ノ内町、東・西瀬ノ内町、堂ノ前町、山田町、山ノ元町、上別当町、大堂町
  • (昭和34年成立)東小倉町、下別当町、東久保田町
  • (昭和40年成立、旧大字北白川)重石町、小亀谷町、向ケ谷町、向イ谷町、丸山町、清沢口町、地蔵谷町、南ケ原町、中山町、蓬ケ谷町、岩坂町、外山町、瓜生山町

旧下鴨村、上賀茂村
公称町名 町数
下鴨宮河町、下鴨宮崎町、下鴨松原町、下鴨森本町、下鴨西林町、下鴨泉川町、下鴨松ノ木町、下鴨貴船町、下鴨下川原町、下鴨中川原町、下鴨上川原町、下鴨西半木町、下鴨東半木町、下鴨北園町、下鴨海ノ木町、下鴨西梅ノ木町、下鴨東梅ノ木町、下鴨塚本町、下鴨東塚本町、下鴨岸本町、下鴨東岸本町、下鴨西本町、下鴨本町、下鴨東本町、下鴨森ケ前町、下鴨東森ケ前町、下鴨西高木町、下鴨高木町、下鴨東高木町、下鴨芝本町、下鴨膳部町、下鴨蓼倉町、下鴨半木町、下鴨南芝町、下鴨北芝町、下鴨水口町、下鴨南茶ノ木町、下鴨北茶ノ木町、下鴨北野々神町、下鴨南野々神町、下鴨前萩町、下鴨萩ケ垣内町、下鴨狗子田町、下鴨神殿町、下鴨夜光町、下鴨梁田町 46
賀茂今井町、賀茂半木町 2

下鴨」を冠する町名は、もとの愛宕郡下鴨村で、大正7年(1918年)、当時の上京区に編入された。下鴨村には大字はなく、旧村域は大正7年、「下鴨」を冠する17町に編成された。その後、以下のような町名町界の変更を経て、「下鴨」を冠する町は46町となっている。

  • (昭和13年成立)塚本町、東塚本町、岸本町、東岸本町、梅ノ木町、東・西梅ノ木町、本町、東・西本町、東森ケ前町、東・西高木町
  • (昭和14年成立)東・西半木町、貴船町
  • (昭和24年上京区上賀茂より編入)北・南茶ノ木町(*)、水口町(*)、北・南芝町(*)、北・南野々神町、梁田町、夜光町、神殿町、狗子田町、前萩町、萩ケ垣内町(以上、*印は昭和15年成立、他は昭和6年成立)

賀茂」を冠する2町はもとの愛宕郡上賀茂村である。上賀茂村には上賀茂、小山の2つの大字があった。このうち大字小山は大正7年(1918年)、当時の上京区に編入され、現在は北区のうちとなっている。大字上賀茂は一部が大正7年、当時の上京区に編入され、「賀茂」を冠称する4町(今井町、半木町、板倉町、玄以町)に編成された。このうち、板倉町は昭和11年、玄以町は昭和12年に廃止されたが、「板倉」、「玄以」の地名は、現在の北区小山の町名に継承されている。以上により、「賀茂」を冠する町名は2町となっている。なお、大字上賀茂の残余は、昭和6年、当時の上京区に編入されて「上賀茂」を冠する町名となり、現在は北区に属している。

昭和6年(1931年)編入区域の町名

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旧修学院村
公称町名 町数
一乗寺松田町、一乗寺青城町、一乗寺清水町、一乗寺向畑町、一乗寺竹ノ内町、一乗寺水掛町、一乗寺月輪寺町、一乗寺東浦町、一乗寺馬場町、一乗寺葉山町、一乗寺堂ノ前町、一乗寺堀ノ内町、一乗寺西浦畑町、一乗寺稲荷町、一乗寺東閉川原町、一乗寺西閉川原町、一乗寺釈迦堂町、一乗寺門口町、一乗寺燈篭本町、一乗寺小谷町、一乗寺下リ松町、一乗寺花ノ木町、一乗寺宮ノ東町、一乗寺谷田町、一乗寺里ノ西町、一乗寺北大丸町、一乗寺南大丸町、一乗寺高槻町、一乗寺松原町、一乗寺庵野町、一乗寺払殿町、一乗寺赤ノ宮町、一乗寺大新開町、一乗寺大原田町、一乗寺梅ノ木町、一乗寺樋ノ口町、一乗寺築田町、一乗寺薬師堂町、一乗寺才形町、一乗寺出口町、一乗寺野田町、一乗寺里ノ前町、一乗寺地蔵本町、一乗寺御祭田町、一乗寺中ノ田町、一乗寺木ノ本町、一乗寺東杉ノ宮町、一乗寺西杉ノ宮町、一乗寺東水干町、一乗寺西水干町、一乗寺塚本町、一乗寺染殿町、一乗寺河原田町、一乗寺葉山、一乗寺大谷、一乗寺坂端、一乗寺城、一乗寺風呂ケ谷、一乗寺中尾ケ谷、一乗寺長尾、一乗寺割ケ谷、一乗寺ヤケ谷、一乗寺黒目ケ谷、一乗寺井手ケ谷スズガ平、一乗寺井手ケ谷菖蒲平、一乗寺井手ケ谷調専口、一乗寺井手ケ谷ヱノ木ケ尾、一乗寺井手ケ谷、一乗寺病ダレ、一乗寺勢ケ谷、一乗寺砂坂、一乗寺三百坊、一乗寺延暦寺山、一乗寺堀切、一乗寺馬坂、一乗寺南高山、一乗寺北高山、一乗寺ボケ谷、一乗寺艾谷、一乗寺西楽ケ谷、一乗寺東楽ケ谷、一乗寺地獄谷、一乗寺シ谷、一乗寺池ケ谷、一乗寺掛橋、一乗寺廐ケ谷、一乗寺ヌメタキ、一乗寺天ケ丸、一乗寺花ケ谷 89
修学院山添町、修学院北沮沢町、修学院大道町、修学院貝原町、修学院西沮沢町、修学院開根坊町、修学院檜峠町、修学院室町、修学院馬場脇町、修学院烏丸町、修学院仏者町、修学院泉殿町、修学院山ノ鼻町、修学院高部町、修学院千万田町、修学院水上田町、修学院沖殿町、修学院川尻町、修学院月輪寺町、修学院辻ノ田町、修学院石掛町、修学院茶屋ノ前町、修学院登リ内町、修学院坪江町、修学院水川原町、修学院犬塚町、修学院宮ノ脇町、修学院狭間町、修学院中林町、修学院十権寺町、修学院大林町、修学院鹿ノ下町、修学院薬師堂町、修学院桂谷、修学院牛ケ額、修学院丸子青良ケ谷、修学院段ノ尾、修学院尺羅ケ谷四明ケ嶽、修学院守禅庵、修学院横山、修学院音羽谷、修学院寺谷、修学院梅谷、修学院淵ケ谷、修学院杉谷、修学院安養坊、修学院薮添、修学院中新開、修学院後安堂、修学院南代、修学院宮ノ前、修学院林ノ脇、修学院山神町、修学院高岸町、修学院松本町 55
山端川端町、山端川原町、山端柳ケ坪町、山端大城田町、山端橋ノ本町、山端壱町田町、山端川岸町、山端大塚町、山端森本町、山端滝ケ鼻町、山端大君町 11
上高野東山、上高野東田町、上高野掃部林町、上高野釜土町、上高野上畑町、上高野口小森町、上高野奥小森町、上高野植ノ町、上高野稲荷町、上高野木ノ下町、上高野隣好町、上高野鐘突町、上高野山ノ橋町、上高野西氷室町、上高野上荒蒔町、上高野下荒蒔町、上高野大塚町、上高野東氷室町、上高野水車町、上高野八幡町、上高野川原町、上高野大橋町、上高野北川原町、上高野小野町、上高野鳥脇町、上高野車地町、上高野野上町、上高野大明神町、上高野三宅町、上高野北田町、上高野大湯手町、上高野薩田町、上高野諸木町、上高野仲町、上高野古川町、上高野流田町、上高野石田町、上高野鷺町、上高野深田町、上高野防山、上高野西明寺山、上高野氷室町、上高野尾保地町、上高野池ノ内町、上高野三反田町、上高野市川町、上高野松田町、上高野下東野町、上高野沢淵町、上高野畑町、上高野前田町、上高野畑ケ田町、上高野奥東野町 53

「一乗寺」「修学院」「山端」及び「上高野」を冠する町名は、もとの愛宕郡修学院村で、昭和6年(1918年)、左京区に編入された。修学院村には一乗寺、修学院、高野の3つの大字があったが、このうち大字一乗寺は昭和6年、「一乗寺」を冠する91町に編成された。その後、以下のような町名町界の変更を経て、「一乗寺」を冠称する町は89町となっている。

  • (昭和42年成立)東・西閉河原町、東・西杉ノ宮町、北・南大丸町、東・西水干町
  • (昭和42年廃止)杉ノ宮町、大丸町、水干町、神戸町、四十町、辻ノ町、閉河原町、宮ノ西町、目空尻町、横枕町

大字修学院は昭和6年、大部分が「修学院」を冠称する52町、及び「山端」(やまばな)を冠称する11町に編成され、残余は大字修学院として残された。 昭和40年(1965年)、当時の京都市内各所に残存していた「大字○○字XX」の区域はすべて「町」となり、「○○XX町」と改称された。元の「左京区大字修学院」の区域は修学院山神町、修学院高岸町、修学院松本町の3町となった。以上により、現在は「修学院」を冠する町名は55となっている。

大字高野は昭和6年、前述の旧田中村大字高野河原との区別のために頭に「上」をつけた「上高野」を冠する60町に編成された。その後、土地区画整理事業実施に伴い、昭和55年に草木町、三十三町、地前町、図惣町、藤城町、本折町、横枕町の7町が廃止され、「上高野」を冠する町名は53町となっている。

旧松ケ崎村
公称町名 町数
松ケ崎樋ノ上町、松ケ崎河原田町、松ケ崎小脇町、松ケ崎東町、松ケ崎御所ノ内町、松ケ崎雲路町、松ケ崎久土町、松ケ崎中海道町、松ケ崎杉ケ海道町、松ケ崎海尻町、松ケ崎壱町田町、松ケ崎修理式町、松ケ崎横繩手町、松ケ崎橋上町、松ケ崎正田町、松ケ崎木ノ本町、松ケ崎御所海道町、松ケ崎平田町、松ケ崎六ノ坪町、松ケ崎井出ケ海道町、松ケ崎芝本町、松ケ崎今海道町、松ケ崎三反長町、松ケ崎井出ケ鼻町、松ケ崎堂ノ上町、松ケ崎柳井田町、松ケ崎村ケ内町、松ケ崎小竹薮町、松ケ崎東山、松ケ崎林山、松ケ崎西山、松ケ崎深泥池端、松ケ崎狐坂、松ケ崎大谷、松ケ崎寝子ケ山、松ケ崎丸子、松ケ崎丈ケ谷、松ケ崎西池ノ内町、松ケ崎総作町、松ケ崎北裏町、松ケ崎木燈篭町、松ケ崎千石岩、松ケ崎泉川町、松ケ崎呼返町、松ケ崎西町、松ケ崎中町、松ケ崎堀町、松ケ崎東池ノ内町、松ケ崎南池ノ内町、松ケ崎高山、松ケ崎榎実ケ芝、松ケ崎境ケ谷、松ケ崎笹ケ谷、松ケ崎城山、松ケ崎鞍馬田町、松ケ崎糺田町、松ケ崎西桜木町、松ケ崎桜木町、松ケ崎東桜木町 59

松ケ崎」を冠する町名は、もとの愛宕郡松ケ崎村で、昭和6年(1931年)、左京区に編入された。松ケ崎村には大字はなく、旧村域は昭和6年、大部分が「松ケ崎」を冠称する55町に編成され、残余は左京区字鞍馬田、字糺田として残された。その後、以下の変更を経て、「松ケ崎」を冠する町名は59町となっている。

  • (昭和15年成立)松ケ崎鞍馬田町、松ケ崎糺田町(小字から町に変更)
  • (昭和13年成立)松ケ崎桜木町、松ケ崎東桜木町、松ケ崎西桜木町
  • (昭和13年廃止)松ケ崎森ケ本町

昭和24年(1949年)以降編入区域の町名

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公称町名 町数
岩倉中在地町、岩倉忠在地町、岩倉上蔵町、岩倉西河原町、岩倉下在地町、岩倉木野町、岩倉大鷺町、岩倉中大鷺町、岩倉南大鷺町、岩倉花園町、岩倉長谷町、岩倉幡枝町、岩倉村松町、岩倉中町、岩倉三宅町、岩倉南三宅町、岩倉南四ノ坪町、岩倉南桑原町、岩倉東宮田町、岩倉西宮田町、岩倉南平岡町、岩倉東五田町、岩倉西五田町、岩倉北池田町、岩倉南池田町、岩倉北桑原町、岩倉北平岡町、岩倉北四ノ坪町、岩倉中河原町、岩倉三笠町、岩倉南河原町、岩倉南木野町 32
八瀬花尻町、八瀬秋元町、八瀬近衛町、八瀬野瀬町 4
大原戸寺町、大原上野町、大原大長瀬町、大原来迎院町、大原勝林院町、大原古知平町、大原草生町、大原野村町、大原井手町、大原小出石町、大原百井町、大原大見町、大原尾越町 13
静市静原町、静市市原町、静市野中町 3
鞍馬本町、鞍馬二ノ瀬町、鞍馬貴船町 3
花脊別所町、花脊大布施町、花脊八桝町、花脊原地町 4
広河原杓子屋町、広河原能見町、広河原下之町、広河原菅原町、広河原尾花町 5
久多下の町、久多川合町、久多中の町、久多上の町、久多宮の町 5

岩倉」を冠する町名は、もとの愛宕郡岩倉村で、昭和24年(1949年)、左京区に編入された。岩倉村には岩倉、中、長谷、幡枝、花園の5つの大字があったが、このうち大字岩倉は昭和24年、「岩倉」を冠する9町に編成され、残余の4大字は岩倉中町、岩倉長谷町、岩倉幡枝町、岩倉花園町となった。その後、土地区画整理事業実施に伴い、昭和55年(1980年)、南三宅町、中・西大鷺町、南四ノ坪町、南桑原町、東・西五反田町、東・西宮田町、南平岡町、北・南池田町の12町が成立し、平成26年(2014年)、岩倉北桑原町、岩倉北平岡町、岩倉北四ノ坪町、岩倉中河原町、岩倉三笠町、岩倉南河原町、岩倉南木野町の7町が成立し、「岩倉」を冠称する町は32町となっている。

八瀬」を冠する町名は、もとの愛宕郡八瀬村で、昭和24年(1949年)、左京区に編入された。八瀬村には大字はなく、旧村域は昭和24年、「八瀬」を冠する4町に編成された。

大原」を冠称する町名は、もとの愛宕郡大原村で、昭和24年(1949年)、左京区に編入された。大原村には大原、小出石、百井、大見、尾越の5つの大字があったが、このうち大字大原は昭和24年、「大原」を冠称する9町に編成され、残余の4大字は大原小出石町、大原百井町、大原大見町、大原尾越町となった。

静市」を冠する町名は、もとの愛宕郡静市野村で、昭和24年(1949年)、左京区に編入された。静市野村には静原、市原、野中の3つの大字があったが、これらは「静市」を冠して旧大字名を継承する3町に編成された。

鞍馬」を冠する町名は、もとの愛宕郡鞍馬村で、昭和24年(1949年)、左京区に編入された。鞍馬村には鞍馬、二ノ瀬、貴船の3つの大字があったが、うち大字鞍馬は鞍馬本町となり、残余は「鞍馬」を冠して旧大字名を継承する2町に編成された。

花脊」を冠する町名は、もとの愛宕郡花脊村で、昭和24年(1949年)、左京区に編入された。花脊村には原地新田、別所、大布施、八桝の4つの大字があったが、うち大字原地新田は花脊原地町となり、残余は「花脊」を冠して旧大字名を継承する3町に編成された。

広河原」を冠する町名は、昭和30年(1955年)までは北桑田郡黒田村大字広河原で、同年、黒田村が他の1町4村と合併して北桑田郡京北町となってからは京北町大字広河原となった。広河原地区は京北町の中心部から遠く離れ、地理的にも京都市方面とのつながりが強いことから、昭和32年(1957年)左京区に編入され、「広河原」を冠する5町に編成された。

久多」を冠する町名は、もとの愛宕郡久多村で、昭和24年(1949年)、左京区に編入された。久多村には大字はなく、旧村域は昭和24年、「久多」を冠する5町に編成された。

備考

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左京区の町名について、いずれを現行公称町名とみなすかについては、参照する資料によって相違がある。ここでは以下の資料間における町名の異同について記す。

  • 『角川日本地名大辞典 26 京都府』(略称「角川」)
  • 「京都市区の所管区域条例」(昭和24年4月1日京都市条例第7号)(略称「所管区域条例」)
  • 「公職選挙法に基いて行う各種選挙の投票区(左京区)」(昭和43年4月18日左京区選管告示第2号)(略称「選管告示」)

なお、本項解説における町名リストや町数の記載は、混乱を避けるため便宜上『角川日本地名大辞典』を基準とした。

  • 松ケ崎丈ケ谷、松ケ崎丈ケ谷町 - 「所管区域条例」と「選管告示」には「丈ケ谷」「丈ケ谷町」を別個に収録するが、「角川」は「丈ケ谷」のみを収録し、「丈ケ谷町」については言及がない。
  • 修学院赤山(せきざん) - 修学院離宮の浴竜池付近の土地を指す呼称として、地図上には「修学院赤山」とみえるが、「所管区域条例」、「選管告示」には収録されず、「角川」にも言及がない。
  • 粟田口入会山町 - 「所管区域条例」、「選管告示」、「角川」のいずれにも収録されるが、地図にみえない。「角川」によれば、山間部に位置する無人町。
  • 北白川向イ谷町 - 「所管区域条例」、「選管告示」、「角川」のいずれにも収録されるが、地図にみえない。「角川」によれば、山間部に位置する無人町。1字違いの「北白川向ケ谷町」は別の町名。
  • 下鴨半木町、賀茂半木町 - 「角川」によれば、左の両町とも京都府立植物園付近に位置する公称町名であり、「所管区域条例」、「選管告示」等の諸資料にも「下鴨半木町」「賀茂半木町」は別個の町名として収録されているが、地図には両町の境界が表示されていない。当該区域に所在する京都府立植物園・京都府立総合資料館・京都コンサートホール・京都府立大学などの施設の住所はいずれも「下鴨半木町」であり、「賀茂半木町」が当該区域内のどの部分を指すのか不明である。

滋賀県大津市との府県境近くの山中、比叡山ドライブウェイ沿いに位置する宿泊施設と大学の研修施設の住所は「左京区比叡山一本杉」と表示されているが、これは通称で、当該地区の実際の公称地名は「左京区一乗寺病ダレ」である。

脚注

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注釈

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  1. ^ 明治12年とする資料も見られる[1]
  2. ^ a b 括弧内の数字は単独町名を含む町数

出典

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  1. ^ 聖護院村・錦織」『史料京都の歴史 第8巻 (左京区)』平凡社、1985年、26-28頁。doi:10.11501/9575885ISBN 4-582-47708-9https://dl.ndl.go.jp/pid/9575885/1/42 
  2. ^ a b 左京区誕生70周年記念事業実行委員会 編『左京区七十年のあゆみ』1999年、30-43頁。 

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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