京都市立錦林小学校
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京都市立錦林小学校 | |
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北緯35度01分05秒 東経135度46分56秒 / 北緯35.01797度 東経135.78217度座標: 北緯35度01分05秒 東経135度46分56秒 / 北緯35.01797度 東経135.78217度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都市 |
設立年月日 | 1869年(明治2年)11月21日[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B126210000242 |
所在地 | 〒606-8322 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
京都市立錦林小学校(きょうとしりつ きんりんしょうがっこう)は、京都市左京区にある公立小学校。
沿革
[編集]1869年(明治2年)に京都で開校した64の番組小学校の一つである上京第32番組小学校をルーツに持つ学校である。上京第32番組(のちの上京第32区、上京第32組)は鴨川沿いの地区[注釈 1]であるが、当時まだ京都(上京・下京)に含まれていなかった浄土寺村や鹿ケ谷村などの近郊地区に分校を設けたことで広い校区を有することとなり、1900年(明治33年)に現在地(岡崎)へ移転した。第三錦林小学校(鹿ケ谷)・第四錦林小学校(吉田)は本校から分かれた学校であり、かつては第二錦林小学校も存在した。
- 1869年(明治2年)8月21日 - 上京第32番組小学校として校舎新築・開校[2]。(発足:11月21日[1])
- 1872年(明治5年)5月 - 上京第32区小学校と改称[2]。
- 1875年(明治8年)1月 - 校名を錦織に改称、秋築町に移転[2]。
- 1881年(明治14年)
- 1888年(明治20年)7月 - 小学校令により錦織尋常小学校と改称[2][3]。
- 1889年(明治21年) - 鹿ヶ谷・浄土寺・岡崎・聖護院・吉田・粟田口・南禅寺村が上京区に編入され、新たに上京第34組を編成する[4]。
- 1892年(明治25年)6月 - 小学校を運営する学区として、上京第32組を上京第34組を合わせて、上京第27学区(のちに錦林学区に改称。)が成立[5]。
- 1893年(明治26年)3月 - 錦織・吉田・浄土寺・鹿ケ谷校の4校が合併し、錦林尋常小学校と改称[2][6]。
- 1900年(明治33年) - 現在地に校舎移転[7]。
- 1902年(明治35年)4月 - 錦林小学校の東側(現在は錦林小学校校庭)に第二錦林小学校を設置。校区は同一で、男児が錦林校に、女児が第二錦林校に通学した[2][8]。
- 1903年(明治36年)6月4日 - 高等科を設置、錦林尋常高等小学校と改称[2]。
- 1908年(明治41年) - 高等科を廃し、錦林尋常小学校と改称[6]。
- 1923年(大正12年) - 第三錦林小学校が分立[9]。
- 1931年(昭和6年) - 第四錦林小学校が分立[9]
- 1934年(昭和9年) - 第二錦林小学校を府立第一中学校跡地(現在の近衛中学校敷地)に移転することが決定[8]
- 1936年(昭和11年) - 第二錦林小学校新校舎完成。錦林小学校と校区を分け、男女共学となる[8]
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により錦林国民学校と改称[2]。
- 1942年(昭和17年) - 錦林学区が廃止される[10]。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により京都市立錦林小学校と改称[2]。
- 1948年(昭和23年) - 第二錦林小学校は閉校、その校区は錦林小・第三錦林小・春日小に分割・編入された[8]。その跡地には京都市立近衛中学校が開設された。
- 1954年(昭和29年)4月 - 福ノ川分校開設[2]。
- 1969年(昭和44年) - 創立100周年[2]。『錦林校百年史 : 錦林小学校創立100周年記念誌』を発行。
- 1976年(昭和51年) - 福ノ川分校閉鎖。京都市立白河養護学校(現在の京都市立白河総合支援学校)になる[2]。
- 2013年 (平成25年)4月3日 - 京都市立新洞小学校を統合[2][3]
通学区(校区)
[編集]錦林小学校の通学区は、京都市の地域区分である「元学区」でいうと新洞学区、川東学区、聖護院学区、岡崎学区の全部と、吉田学区、錦林東山学区の一部(吉田近衛町、吉田下大路町、粟田口鳥居前町)に当たる[11]。
通学区の変遷
[編集]開校 - 明治23年 | 明治23年 - 大正12年 | 大正12年 - 昭和6年 | 昭和6年 - 昭和11年 | 昭和11年 - 昭和23年 | 昭和23年 - 昭和29年 | 昭和29年 - 昭和51年 | 昭和51年 - 平成25年 | 平成25年 - 現在 |
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新洞 | 錦林 | |||||||
錦織 | 錦林 | 錦林 | 錦林 | 錦林 | 錦林 | 錦林 | 錦林 | |
浄土寺分校 | 第二錦林※ | 福ノ川分校 | ||||||
鹿ケ谷分校 | 第四錦林 | |||||||
吉田 | 第三錦林 |
※ 第二錦林小学校の通学区は1948年(昭和23年)の閉校時、錦林・第三錦林・春日の3つの小学校の通学区に分割編入されている。
著名な卒業生
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 119, 「京都市立錦林小学校」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “創立記念日 明治2年(1869年)8月21日”. 京都市立錦林小学校. 2018年10月24日閲覧。
- ^ a b c “京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2024年3月2日閲覧。
- ^ 明治21年6月25日京都府令第72号(山城國南禪寺村外八ヶ村京都市街地ヘ編入ノ件」「明治21年6月25日京都府令第72号」『京都府府令達要約 明治21年 第9編上巻』京都府内務部、1888年、199頁 。
- ^ 明治25年6月3日府令第42号(京都市尋常小學校々數位置幷ニ小學區ノ件)「明治25年6月3日府令第42号」『京都府府令達要約 明治25年 第13編上巻』1892年、276-288頁。doi:10.11501/788418 。
- ^ a b c 『京都市学区大観』 (1937), pp. 113–114, 「錦林学区」
- ^ “学校要覧”. 京都市立錦林小学校. 2018年10月24日閲覧。
- ^ a b c d “旧第二錦林小学校跡”. 京都市. 2018年10月24日閲覧。
- ^ a b “京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2018年10月24日閲覧。
- ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074 。
- ^ a b “京都市通学区町名一覧(左京区)”. 京都市教育委員会. 2024年3月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年。doi:10.11501/12111830。