京都市電稲荷線
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稲荷線 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 京都市 |
路線網 | 京都市電 |
起点 | 勧進橋 |
終点 | 稲荷 |
停留所数 | 2箇所 |
開業 | 1904年8月4日 |
廃止 | 1970年4月1日 |
運営者 | 京都市交通局 |
路線諸元 | |
路線距離 | 0.689km |
軌間 | 1,435mm |
線路数 | 複線 |
電化方式 | 直流600V 架空電車線方式 |
稲荷線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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稲荷線(いなりせん)は、京都市伏見区深草に敷設されていた京都市電の軌道路線。
明治期に京都電気鉄道によって建設され、1918年(大正7年)に京都市に買収された。
路線は伏見区勧進橋から伏見稲荷大社前までを結んでおり、京都市電では唯一の全線専用軌道であった。伏見線の支線としての色合いが濃く、戦時体制下(ひらがな系統番号で「も」号系統運用)を除いて、全ての列車は伏見線へ直通した。毎年正月三が日には伏見稲荷大社への初詣客で混雑した。
1970年(昭和45年)に伏見線と共に66年の歴史に幕を閉じた。
廃線後は旧稲荷電停付近の線路跡が稲荷児童公園になっている。この場所では廃止から約50年が経過した2020年1月に公園の改修工事に伴って、地下に埋まっていた線路が露出している[1]。
沿革
[編集]- 1904年(明治37年)8月4日 京都電気鉄道伏見線支線として、勧進橋-稲荷開業
- 1918年(大正7年)7月1日 京都市が京都電気鉄道株式会社を買収し、京都市電稲荷線となる
- 1923年(大正12年)6月26日 標準軌化[注釈 1]
- 1931年(昭和6年)7月9日 京阪電鉄線電車との交差部で衝突事故
- 1934年(昭和9年)7月2日 京阪電鉄線電車との交差部で衝突事故
- 1970年(昭和45年)
電停一覧
[編集]停留所/交叉する通り(接続、距離、急行停車駅は路線図参照)
他線との交叉
[編集]平面交叉
1931年と1934年の2回、京阪本線との平面交差で衝突事故が発生し1935年に京阪電鉄より代物弁済として大津線で使われていた80型電車 (初代)89号が京都市電に引き渡された[5]。
運行系統(廃止時)
[編集]路線 | 停留所 | 系統 |
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19号 | ||
河原町線 | 京都駅前 | ● |
伏見線 | 塩小路高倉 | ● |
京都駅八条口 | ● | |
大石橋 | ● | |
札ノ辻 | ● | |
十条通 | ● | |
稲荷線 | 勧進橋 | ● |
稲荷 | ● |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “「路面電車発祥の地」京都で半世紀ぶり市電の線路が出現! 伏見稲荷大社の参拝者運んだ路線”. まいどなニュース. (2020年2月1日) 2020年2月2日閲覧。
- ^ 松岡慎吾「(ニ)軌隔拡張」『市電の使命』「市電の使命」発行所、1930年、4頁。doi:10.11501/1189370 。
- ^ 京都市交通局総務部庶務課 編『軌道事業略史』京都市交通局総務部、1952年、28,13頁。doi:10.11501/2530773 。。
- ^ 京都市電気局 編「第二項 工事並工事費」『京都市営電気事業沿革誌』京都市電気局、1933年、969-970頁。doi:10.11501/1258700 。
- ^ 「関西の鉄道№38京阪電気鉄道特集号」