人見豊治
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人見 豊治(ひとみ とよはる、1901年 - 1943年11月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。
履歴
[編集]- 1901年(明治34年)- 栃木県下都賀郡瑞穂村真弓(現・栃木市大平町真弓)に生まれる[1]。
- 1919年(大正8年)3月31日 - (旧制)栃木県立栃木中学校卒業。
- 1922年(大正11年)6月1日 - 海軍兵学校(50期)卒業。
- 1923年(大正12年)9月20日 - 海軍少尉。
- 1939年(昭和14年)10月15日 - 「村雨」駆逐艦長。
- 1940年(昭和15年)11月18日 - 「白雲」駆逐艦長。
- 1942年(昭和17年)6月30日 - 「巻波」艤装員長。
- 1942年(昭和17年)8月18日 - 「巻波」駆逐艦長。
- 1943年(昭和18年)
- 5月20日 - 兼「初春」駆逐艦長(9月10日まで)。
- 11月25日 - セント・ジョージ岬沖海戦で米水上部隊と交戦しブーゲンビル島沖にて戦没。
脚注
[編集]- ^ 石崎常藏『栃木人 続編』石崎常藏、2021年4月1日、339頁。
参考文献
[編集]- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。