伊井田村
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いいだそん 伊井田村 | |
---|---|
廃止日 | 1918年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 伊井田村、大江村 → 大伊村 |
現在の自治体 | 八頭町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 八頭郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
907人 ([1]、1912年) |
隣接自治体 | 大江村、船岡村、隼村、大村 |
伊井田村役場 | |
所在地 |
鳥取県八頭郡伊井田村大字塩上字下土居[1] (伊井田村大江村組合役場) |
座標 | 北緯35度21分53秒 東経134度15分04秒 / 北緯35.36462度 東経134.25107度座標: 北緯35度21分53秒 東経134度15分04秒 / 北緯35.36462度 東経134.25107度 |
特記事項 | 座標は後の大伊村役場位置(大字塩上字下土居360番地)[2] |
ウィキプロジェクト |
伊井田村(いいだそん)は、鳥取県八頭郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは八上郡に属した。
概要
[編集]現在の八頭町船岡殿(ふなおかとの)・水口(みなくち)・塩上(しおのうえ)に相当する。千代川水系八東川支流の大江川流域に位置した。
藩政時代には鳥取藩領の八上郡大江郷(おおえのごう)に属する殿村があった。枝郷に水口村と塩上村があり、因幡志によると前者は正保・慶安年間頃、後者は享保年間に分村したとされる[3][4]。
沿革
[編集]- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 船岡村(後の船岡村大字船岡)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる[4][5]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、 殿村・水口村・塩上村が合併して村制施行し、八上郡伊井田村が発足。旧村名を継承した3大字を編成。大江村との組合役場を塩上村に設置[6]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足し、八頭郡伊井田村となる。
- 1918年(大正7年)4月1日 - 大江村と合併して大伊村が発足。同日伊井田村廃止[7]。
行政
[編集]歴代組合村長
[編集]氏名 | 就任年月 | 退任年月 | 備考 |
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土肥平太郎 | 1889年(明治22年)12月 | 1900年(明治33年)10月 | |
堀場孫四郎 | 1900年(明治33年)10月 | 1904年(明治37年)10月 | |
山根金蔵 | 1904年(明治37年)11月 | 1909年(明治42年)4月 | |
堀場定蔵 | 1909年(明治42年)4月 | 1913年(大正2年)4月 | |
山本辰太郎 | 1913年(大正2年)4月 | 1913年(大正2年)5月 | 郡会議員就任のため辞職 |
風坂政蔵 | 1913年(大正2年)5月 | 1918年(大正7年)3月 | 後に大伊村長に就任 |
参考文献 - [3][4] |
教育
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 角川日本地名大辞典 鳥取県「伊井田村(近代)」
- ^ 「村役場位置」『官報』1918年4月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 船岡町誌(船岡町誌編纂委員会、1968年)
- ^ a b c 初稿八頭郡誌(八頭郡郷土文化研究会郡誌編集専門委員、1982年)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 「村廃置並区域変更」『官報』1918年4月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)