大江村 (鳥取県)
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おおえそん 大江村 | |
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廃止日 | 1918年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 伊井田村、大江村 → 大伊村 |
現在の自治体 | 八頭町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 八頭郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,605人 ([1]、1912年) |
隣接自治体 | 伊井田村、隼村、八東村、大村、智頭町、大内村、虫井村 |
大江村役場 | |
所在地 |
鳥取県八頭郡伊井田村大字塩上字下土居[1] (伊井田村大江村組合役場) |
座標 | 北緯35度20分33秒 東経134度15分42秒 / 北緯35.34255度 東経134.26164度座標: 北緯35度20分33秒 東経134度15分42秒 / 北緯35.34255度 東経134.26164度 |
特記事項 | 座標は現在の大江地区公民館位置 |
ウィキプロジェクト |
大江村(おおえそん)は、鳥取県八頭郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは八上郡に属した。
概要
[編集]現在の八頭町大江・橋本・下野(しもつけ)に相当する。千代川水系八東川支流の大江川流域に位置した。
往古この地域は大江郷に属した。大江広元が国主であったとき橋本に因幡国二宮の大江神社を建てたことから郷名にしたとされ、大江川流域(おおむね旧船岡村・旧大伊村域)を郷域にしていたとされる[2][3]。
藩政時代には鳥取藩領の八上郡大江郷(おおえのごう)に属する橋本村・下野村・栃谷村があった[2][3]。
沿革
[編集]- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 船岡村(後の船岡村大字船岡)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる[3][4]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、 橋本村・下野村・栃谷村が合併して村制施行し、八上郡大江村が発足。旧村名を継承した3大字を編成。伊井田村との組合役場を同村大字塩上村に設置[5]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足し、八頭郡大江村となる。
- 1918年(大正7年)4月1日 - 伊井田村と合併して大伊村が発足。同日大江村廃止[6]。
行政
[編集]- 歴代組合村長については伊井田村を参照。
教育
[編集]備考
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 角川日本地名大辞典 鳥取県「大江村(近代)」「伊井田村(近代)」
- ^ a b 船岡町誌(船岡町誌編纂委員会、1968年)
- ^ a b c 初稿八頭郡誌(八頭郡郷土文化研究会郡誌編集専門委員、1982年)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 「村廃置並区域変更」『官報』1918年4月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鳥取県告示第517号・大伊村の字の名称変更」『鳥取県公報 第2362号』1952年11月7日(鳥取県立公文書館)