虫井村
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むしいそん 虫井村 | |
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廃止日 | 1919年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 大内村、虫井村 → 山形村 |
現在の自治体 | 智頭町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 八頭郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,122人 (鳥取県統計書、1918年) |
隣接自治体 |
大内村、山郷村、大伊村、八東村、若桜町(初代)、池田村 岡山県英田郡西粟倉村 |
虫井村役場 | |
所在地 |
鳥取県八頭郡大内村大字大内5番2 (大内村虫井村組合役場) |
座標 | 北緯35度17分36秒 東経134度17分58秒 / 北緯35.2933度 東経134.29945度座標: 北緯35度17分36秒 東経134度17分58秒 / 北緯35.2933度 東経134.29945度 |
特記事項 | 座標は現在の山形第二地区公民館位置 |
ウィキプロジェクト |
虫井村(むしいそん)は、鳥取県八頭郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは智頭郡に属した。
概要
[編集]現在の智頭町大呂・芦津・八河谷(やこうだに)に相当する。千代川支流の北股川流域に位置した。
大呂字ハセツコウには明治元年に葦津妙見社から改称した䖝井神社(虫井神社)があり、村名はこの神社から命名されたとも、また当地一帯が虫谷と呼ばれていたことに由来するともされる[1]。
藩政時代には鳥取藩領の智頭郡山形郷(やまがたのごう)に属する中島村・大呂村・芦津村(葦津村)・八河谷村があった[2]。
沿革
[編集]- 1877年(明治10年)5月22日 - 中島村が大呂村に合併する[3]。
- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 大内村に設置された連合戸長役場の管轄区域となる。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、大呂村・芦津村・八河谷村が合併して村制施行し、智頭郡虫井村が発足。旧村名を継承した3大字を編成。大内村および山郷村との組合役場を大内村大字大内村に設置[4]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足し、八頭郡虫井村となる。
- 1912年(明治45年)4月 - 山郷村が組合村を分離。大内村虫井村組合役場位置を大内村大字大内村5番2に定める[5]。
- 1915年(大正4年)1月1日 - 「虫井村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「虫井村大字◯◯」と改称[6]。
- 1919年(大正8年)1月1日 - 大内村と合併して山形村が発足。同日虫井村廃止[7]。
行政
[編集]歴代大内村虫井村組合村長については大内村を参照。
脚注
[編集]- ^ 鳥取県の地名由来語源参考 : 平成の地名(森納、2009年)
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「山形郷(近世)」
- ^ 鳥取県史 近代 第1巻 (総説篇)833頁(鳥取県、1969年)
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 「村役場位置」『官報』1912年4月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「大字名改称」『官報』1914年11月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「村廃置」『官報』1919年1月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)