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伊号第三百六十八潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊号第三六八潜水艦から転送)
艦歴
計画 昭和18年度計画(改⑤計画
起工 1943年7月15日
進水 1944年1月29日
就役 1944年8月25日
その後 1945年2月27日戦没
除籍 1945年4月10日
性能諸元
排水量 基準1,440t、常備1,779t
水中2,215t
全長 73.50m
全幅 8.90m
吃水 4.76m
機関 艦本式23号乙8型ディーゼル2基2軸
水上:1,850馬力
水中:1,200馬力
速力 水上:13.0kt
水中:6.5kt
航続距離 水上:10ktで5,000海里
水中:3ktで120海里
燃料 重油:282トン
乗員 55名
兵装 40口径14cm単装砲1門
25mm単装機銃2挺
53cm魚雷発射管 艦首2門、魚雷2本
備考 安全潜航深度:75m
物資搭載量:艦内65トン、艦外20トン[1]

伊号第三百六十八潜水艦(いごうだいさんびゃくろくじゅうはちせんすいかん)は、大日本帝国海軍潜水艦伊三百六十一型潜水艦の8番艦。回天攻撃隊参加中に硫黄島付近で戦没。以下、日本海軍の潜水艦名は「伊368潜」等と略記する。

艦歴

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1942年の改⑤計画第5468号艦[2]。1943年7月15日、横須賀海軍工廠にて起工[2]。1944年1月29日に進水[2]。8月25日に竣工[3]佐世保鎮守府籍。同日、第十一潜水戦隊に編入[3]

11月2日、第七潜水戦隊に編入[4]

「伊368潜」は輸送作戦に従事することなく回天搭載艦へと改装された[5]

アメリカ軍の硫黄島侵攻に対し、「伊368潜」と「伊44潜」、「伊370潜」で回天特別攻撃隊千早隊を編成[5]。「伊368潜」は回天5基を搭載して1945年2月20日に大津島基地を出撃し、未帰還となった[5]。2月27日、「伊368潜」は硫黄島西方、北緯24度7分、東経140度19分においてアメリカ護衛空母「アンツィオ」搭載機のMk24電池式音響魚雷による攻撃で撃沈された[6]。乗員85名、回天搭乗員など10名全員戦死。

3月14日、硫黄島付近で喪失と認定。

4月10日、除籍。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』446頁による。

艦長

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  1. 中山伝七 少佐:1944年8月25日 -
  2. 入沢三輝 大尉:1944年8月31日 - 1945年2月27日戦死

脚注

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  1. ^ 数値は『写真 日本の軍艦』の解説より。『艦長たちの軍艦史』によると伊361型の搭載量は艦内65トン、艦外40トンで合計105トン
  2. ^ a b c 輸送潜水艦伊号第361型列伝、154ページ
  3. ^ a b 輸送潜水艦伊号第361型列伝、156ページ
  4. ^ 戦史叢書第98巻 潜水艦史、381ページ
  5. ^ a b c 輸送潜水艦伊号第361型列伝、159ページ
  6. ^ 輸送潜水艦伊号第361型列伝、159-160ページ

参考文献

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