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伊号第二百五潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊号第二百五潜水艦
基本情報
建造所 呉海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 潜水艦
級名 伊二百一型潜水艦
建造費 12,325,000円
艦歴
計画 マル戦計画
起工 1944年9月4日
進水 1945年2月15日
最期 1945年7月28日被爆沈没
その後 1948年8月解体終了
要目
基準排水量 1,070トン
水中排水量 1,450トン
全長 79.00m
垂線間長 76.00m
5.80m
深さ 6.70m
吃水 5.46m
機関 マ式1号8型過給機付内火機械2基
蓄電池 特D型 2,088基
主電動機 特E型 1,250馬力4基
推進 2軸
出力 水上 2,750bhp
水中 5,000shp
速力 水上 15.8ノット
水中 19.0ノット
燃料 重油146トン
航続距離 水上 5,800カイリ/14ノット
水中 135カイリ/3ノット
潜航深度 110m
乗員 定員36名
特修兵教員最大27名
兵装 25mm機銃 単装2基
九五式潜水艦発射管4門(艦首)
九五式魚雷 10本
レーダー 22号電探1組
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伊号第二百五潜水艦[注釈 1](いごうだいにひゃくごせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦伊二百一型潜水艦の5番艦。建造中に沈没した。

艦歴

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マル戦計画の潜水艦高、第4501号艦型の5番艦、仮称艦名第4505号艦として計画。

1944年9月4日、呉海軍工廠で起工。10月5日、伊号第二百五潜水艦と命名されて伊二百一型潜水艦の5番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。

1945年2月15日進水し、本籍を呉鎮守府に定められる。その後工程80%で工事を中止し[注釈 2]、船体を倉橋島に疎開。7月28日、呉軍港空襲の際に被爆し沈没。8月17日、本艦の工事中止が発令された。

1948年5月から8月にかけて、播磨造船所呉船渠で解体された。

脚注

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注釈

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  1. ^ 本来の艦名表記は伊號第二百五潛水艦。
  2. ^ 進捗率は世界の艦船『日本潜水艦史』(1993)p. 86、世界の艦船『日本潜水艦史』(2013)p. 103、福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』資料篇 p. 艦歴表21、福井静夫『昭和軍艦概史III』 p. 65によるが、福井静夫『昭和軍艦概史III』p. 66には「ごく大体のもの」と注意書きが添えられている。

出典

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参考文献

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  • 海軍省
    • 昭和19年6月20日付 内令員第1062号。
    • 昭和19年10月5日付 達第341号、内令第1148号、内令第1150号、内令員第1966号。
    • 昭和20年2月15日付 内令第153号。
    • 昭和20年2月20日付 内令員第321号、内令員第322号、内令員第323号。
  • 世界の艦船 No. 469 増刊第37集 『日本潜水艦史』、海人社、1993年。
  • 世界の艦船 No. 791 増刊第114集 『日本潜水艦史』、海人社、2013年。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 43 日本海軍艦艇シリーズ『日本の潜水艦III』、潮書房、1980年。
  • 丸スペシャル No. 132 日本海軍艦艇発達史『日本の潜水艦I』、潮書房、1988年。
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。