伊東 (企業)
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒475-0023 愛知県半田市亀崎町9-111 |
設立 | 2019年10月 |
法人番号 | 8180001138228 |
代表者 | 伊東優 |
関係する人物 | 伊東良夫 |
外部リンク | https://shikishima-ito.com/ |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒475-0023 愛知県半田市亀崎町9-108-1 |
法人番号 | 5040001074076 |
代表者 | 代表取締役 伊東優 |
主要株主 | 株式会社杉田 |
特記事項:上記の伊東株式会社とは登記上は別法人。 2021年9月7日本社を千葉県南房総市千倉町北朝夷212から移転。 2021年9月16日千蔵酒造株式会社から現商号へ変更。 |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒475-0023 愛知県半田市亀崎町9-111 |
法人番号 | 6370001005328 |
代表者 | 伊東優 |
資本金 | 3000万円 |
外部リンク | http://ito-goshi.com/ |
特記事項:株式会社杉田を2023年12月社名変更。 |
種類 | 合資会社 |
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本社所在地 |
日本 〒475-0023 愛知県半田市亀崎町9丁目111番地 |
設立 | 1908年9月30日 |
業種 | 食料品 |
事業内容 | 日本酒・醤油・醸造業 |
代表者 | 伊東良夫 |
資本金 | 50万円 |
特記事項:旧社概要 2007年解散 |
伊東合資会社(いとうごうしがいしゃ)は、かつて愛知県知多郡亀崎町(現・半田市)に存在した日本酒の蔵元。代表銘柄は「敷嶋」。2021年(令和3年)12月には伊東株式会社(いとうかぶしきかいしゃ)として酒類製造免許を再取得し、生産再開を果たした。
歴史
[編集]伊東合資会社の前身は、伊東孫左衛門による清酒敷嶋で、1788年(天明8年)創業といわれる[1]。敷地内の船着き場から江戸に酒を出荷し、ピーク時は約8千石(一升瓶で80万本)の年間生産量を誇り、一時期は中部地方最大規模の生産量を誇った[2][3]。 本居宣長の詞「敷嶋の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」の枕詞から酒銘がつけられたが、1920年に盛田善平が興した敷島製パンも同詞からの出典である。 盛田家とは中埜家さらに矢橋家を通して縁戚関係になる。 隣地にある旧天埜酒造(酒銘:初夢桜)の天埜家とも縁戚であり、それを継承した盛田金しゃち酒造の親会社はイズミックである。
伊東合資会社となったのは、1908年(明治41年)のことで、1921年(大正10年)には、研究所を設置した[4][5]。 味噌製造事業は1975年(昭和50年)頃に撤退。醤油製造に関しては閉業時に一部従業員が丸又商店に移籍し、現在も「イトウ醤油」の商標を用いた商品が販売されている。
2000年(平成12年)、清酒需要の低下や他事業の不調のため酒造業を廃業し、酒類製造免許も返上した[2]。後の2007年伊東合資会社は解散し、翌2008年清算結了となり、商標の一部は個人名義となった。
復活
[編集]2020年(令和2年)、創業家9代目の伊東優が三重県名張市の福持酒造場の援助のもと、「敷嶋」を復活させた[3]。「敷嶋」の販売会社として、伊東株式会社が設立される。
2021年(令和3年)9月、千葉県南房総市にあった千蔵酒造株式会社を買収したうえで、千蔵酒造の本社を半田市に移転して商号を伊東株式会社に変更[6][7]。前述の法人とは現在のところ別個である。
2021年12月、酒類製造免許を千葉県南房総市から移転[8]。これにより酒類製造免許の再取得を果たす。その後、生産再開にこぎつけた。
製造所は1993年(平成5年)築の鉄筋コンクリートビルであり、機器は製造再開に伴い新しく導入されたものを用いている[9]
製造所に隣接する旧邸宅及び蔵である、3棟が2022年10月31日付で登録有形文化財に登録された。[10][11][12]
旧邸宅及び蔵を活用した施設、「伊東合資」が、2024年1月20日にオープンした。[13]
代表社員一覧
[編集]- 伊東雅次郎[14](亀崎水産株式会社社長、衣浦貯金銀行専務取締役、知多商業会議所常議員)
- 伊東信蔵[15](三河屋伊東商店株式会社代表取締役)
- 伊東郁二(愛知県多額納税者、衣浦銀行取締役)
- 伊東基夫
- 伊東良夫[16]
- 伊東優(以下、伊東株式会社代表取締役)
脚注
[編集]- ^ “敷嶋復活に向けた歩み | 清酒 敷嶋”. 2021年8月19日閲覧。
- ^ a b “廃業した酒蔵が21年ぶりに復活 「後には引けない」9代目の覚悟”. ツギノジダイ. 2021年8月19日閲覧。
- ^ a b 伊賀タウン情報YOU編集部 (2020年4月20日). “蔵復活目指し名張で酒造り 銘酒仕込み続ける 伊東さん | 【伊賀タウン情報 YOU】”. 2021年8月19日閲覧。
- ^ 『愛知県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』愛知県教育委員会生涯学習課文化財保護室、2005年3月、135頁。
- ^ “日本全国諸会社役員録. 第35回(昭和2) - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年8月19日閲覧。
- ^ “法人番号公表サイト”. 国税庁. 2022年4月2日閲覧。
- ^ 千蔵酒造はすでに酒造業から撤退し、小売業の野村屋本店として営業していたが、他社へ委託醸造した原酒を桶買いして壜詰めを行うため、酒類製造免許を保有したままだった。買収を前に小売部門は独立し、新たに野村屋本店合同会社を設立している。
- ^ “酒類等製造免許の新規取得者名等一覧(令和3年分)” (PDF). 国税庁. 2022年4月2日閲覧。
- ^ 酒造りはここで行う予定です 伊東優@敷嶋製造元公式Twitter
- ^ https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00014389
- ^ https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00014390
- ^ https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00014391
- ^ https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000135471.html
- ^ 伊東雅次郎 『人事興信録』データベース
- ^ 伊東信蔵 『人事興信録』データベース
- ^ ”人との縁”が実現させた、21年ぶりの酒造り 愛知県「敷嶋」の復活の歩み Sake Times、2022年4月19日
参考文献
[編集]- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録』商業興信所、1909年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第35回』商業興信所、1927年。
- 商業興信所編『日本全國銀行會社録 第50回 下卷』商業興信所、1942年。