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伊藤壇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤 壇
名前
愛称 DANITO、TSUNAMI
カタカナ イトウ ダン
ラテン文字 ITO Dan
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1975-11-03) 1975年11月3日(49歳)
出身地 北海道札幌市[1]
身長 173cm
体重 71㎏
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1991-1993 日本の旗 登別大谷高校
1994-1997 日本の旗 仙台大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-1999 日本の旗 ブランメル仙台/ベガルタ仙台 30 (2)
2000 日本の旗 札幌蹴球団
2001 シンガポールの旗 ウッドランド・ウェリントンFC (4)
2002 オーストラリアの旗 ウエストゲートFC英語版 (1)
2003 ベトナムの旗 FCサイゴン・ポート
2004 香港の旗 傑志
2004 タイ王国の旗 オーソットサパー・サラブリーFC 4
2004 香港の旗 傑志
2005 マレーシアの旗 ペナンFA (3)
2005-2006 ブルネイの旗 QAF FC英語版
2006 モルディブの旗 クラブ・バレンシア
2006 ブルネイの旗 QAF FC 0 (0)
2006 ブルネイの旗 ブルネイDPMM FC (0)
2007-2008 ブルネイの旗 QAF FC (12)
2008 香港の旗 屯門体育会足球隊 7 (2)
2009 マカオの旗 名門世家加義 9 (8)
2009-2010 インドの旗 チャーチル・ブラザーズSC
2011 ミャンマーの旗 ラカプラ・U
2011-2012 ネパールの旗 マナン・マーシャンディFC
2012 カンボジアの旗 ビルド・ブライトU英語版 7 (9)
2013 フィリピンの旗 グリーン・アーチャーズU 7 (0)
2013 モンゴル国の旗 エルチム 18 (12)
2014 ラオスの旗 ラオ・トヨタ
2014 ラオスの旗 ヨタFC英語版(loan)
2015 ブータンの旗 ティンプーFC
2016 スリランカの旗 コロンボ英語版
2017 東ティモールの旗 ポンタ・レステ英語版
2019 グアムの旗 NAPAローヴァーズ 9 (11)
2019 北マリアナ諸島の旗 Old B bank 1 (1)
通算 92 (65)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年7月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

伊藤 壇(いとう だん、1975年11月3日 - )は、北海道札幌市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、クラーク記念国際高等学校サッカー部監督。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 

日本、シンガポールオーストラリアベトナム香港タイマレーシアブルネイモルディブマカオインドミャンマーネパールカンボジアフィリピンモンゴルラオスブータンスリランカ東ティモールグアムサイパンの22の国・地域のリーグでプレーした[2][3][4][5][6]

来歴

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登別大谷高等学校3年時に第72回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した[1]葛野昌宏は高校の同級生に当たる。仙台大学を経て、1998年ブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)に入団。2年間プレーするが戦力外通告を受けた。退団後は故郷に戻り、地元の社会人チームに所属していたが、サッカー雑誌に載っていたシンガポールサッカー事情の記事を読んで海外に渡る。渡航後しばらくは現地の少年サッカーチームのコーチを務めたが、2001年ウッドランド・ウェリントンFCに所属。

2004年、香港・傑志蹴球隊所属時代に香港リーグ選抜に選出され、カールスバーグ・カップに出場した。プレシーズンマッチではACミランと対戦、勝利している。2005年に所属したマレーシアのペナンでは、「Tsunami」のニックネームで親しまれた。2006年にはブルネイオールスターゲームでMVPを獲得している。

2009年にはマカオサッカーリーグファーストディビジョン名門世家加義に移籍。キックオフ直後にゴールを記録し、ギネス記録達成かとマカオ・香港などで大きく取り上げられた(実際の映像がビデオカメラのみであり不認定)。同年途中から2010年にかけてIリーグチャーチル・ブラザーズでプレー。

2011年ミャンマーナショナルリーグ (MNL) のラカプラ・ユナイテッドに移籍。さらに同シーズン中にネパールリーグ(MMC)のマナン・マルシャンディFCに移籍した。

2013年2月よりUFLのグリーン・アーチャーズ・ユナイテッドでプレーし、前期終了の4月まで8試合に出場した。契約延長の打診も受けたが、「親日の国で興味があり、以前から選択肢の中にあった」というモンゴル・リーグエルチムに移籍することとなった[7]

2014年からはラオス・リーグ初の日本人選手として、ラオ・トヨタFCに移籍[8]。その後出番を求めて、同リーグのヨタFCにレンタル移籍[9]。また、同年アジア進出を希望する選手や指導者をサポートする「チャレンジャス・アジア」を設立[10][1]

2015年ブータンティンプーFCと契約、日本人プロ契約選手第1号となった[3]。同年、ドキュメンタリーフィルム「FUTEN」がアムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭英語版に出品[10]

2016年よりエイベックス・スポーツとマネジメント業務委託契約を結び、同時にスリランカ・チャンピオンズリーグコロンボFCに登録されたことを発表した[5]。同年11月11日、東ティモールASポンタ・レステ英語版と契約したことを発表し、20の国・地域でプレーすることになった[11]。同年、NHKドキュメンタリー特集「ボールひとつで、どこへでも-アジアの渡り鳥 伊藤壇-」に出演し、著書「自分を開く技術」を出版[10]

2017年5月にASポンタ・レステとの契約を解除された。その後、無所属が続いていた時期に地元の札幌市でサッカースクール「チャレンジャス・キッズ」、「チャレンジャス・ゴールド」、「チャレンジャス・プラチナ」を開校[12][13][14]

2019年2月にグアムサッカーリーグNAPAローヴァーズに入団が決まった[6]。同年4月に北マリアナ諸島サッカーリーグのold B bankにレンタル移籍、翌5月の最終節をもって現役を引退した[15]

2020年4月よりクラーク記念国際高等学校サッカー部の初代監督に就任[16]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 B仙台 19 旧JFL 23 2 4 0
1999 仙台 J2 7 0 2 0
2000 札幌蹴球団 北海道 -
シンガポール リーグ戦 リーグ杯シンガポール杯 期間通算
2001 ウッドランド Sリーグ
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
2002 ウエストゲート英語版 ビクトリア州プレミア英語版
ベトナム リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2003 サイゴン・ポート Vリーグ
香港 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2004 傑志 甲組
タイ リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2004 オーソットサパー プレミア
香港 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2004 傑志 香港甲組
マレーシア リーグ戦 マレーシア杯FA杯 期間通算
2005 ペナン マレーシア・スーパー
ブルネイ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2005 QAF英語版 プレミア
2006
モルディブ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2006 クラブ・バレンシア プレミア
ブルネイ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2006 QAF ブルネイ・プレミア 0 0 0 0
シンガポール リーグ戦 リーグ杯シンガポール杯 期間通算
2006 DPMM Sリーグ
ブルネイ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2007 QAF プレミア
2008
香港 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2008 屯門 香港甲組 7 2 7 2
マカオ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2009 名門世家加義 澳門甲組 9 8 9 8
インド リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2009-10 チャーチル・ブラザーズ Iリーグ
ミャンマー リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2011 ラカプラ ミャンマー・ナショナル
ネパール リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2011 マナン・マーシャンディ マーティアズメモリアルA
2012
カンボジア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2012 ビルド・ブライトU英語版 メトフォン・C 7 9 7 9
フィリピン リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2013 グリーン・アーチャーズU フィリピンUFL 7 0 7 0
モンゴル リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2013 エルチム モンゴルL 18 12 18 12
ラオス リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2014 ラオ・トヨタ ラオス・プレミア
ヨタ英語版
ラオ・トヨタ
ブータン リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2015 ティンプー A-Div.
スリランカ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2016 コロンボ英語版 スリランカChamp.
東ティモール リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2016-17 ポンタ・レステ英語版 LFAプリメイラ英語版
グアム リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2019 NAPAローヴァーズ グアムサッカーリーグ 9 11
サイパン リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2019 old B bank 北マリアナ諸島1部 1 1
通算 日本 J2 7 0 2 0
日本 旧JFL 23 2 4 0
日本 北海道
シンガポール Sリーグ
オーストラリア ビクトリア州プレミア
ベトナム Vリーグ
香港 香港甲組
タイ TPL
マレーシア マレーシア・スーパー
ブルネイ ブルネイ・プレミア
モルディブ ディヴェヒ・プレミア
マカオ 澳門甲組 9 8 9 8
インド Iリーグ
ミャンマー ミャンマー・ナショナル
ネパール マーティアズメモリアルA
カンボジア メトフォン・C 7 9 7 9
フィリピン フィリピンUFL 7 0 7 0
モンゴル モンゴルL 18 12 18 12
ラオス ラオス・プレミア
ブータン A-Div.
スリランカ スリランカChamp.
東ティモール LFAプリメイラ
グアム グアムサッカーリーグ 9 11
サイパン 北マリアナ諸島1部 1 1
総通算

著書

[編集]
  • 自分を開く技術 本の雑誌社 2016/1/21

脚注

[編集]
  1. ^ a b c こんなサッカー人生もある 20カ国・地域でボールを蹴った「アジアの渡り鳥」伊藤壇”. 朝日新聞 (2018年8月8日). 2018年8月13日閲覧。
  2. ^ 伊藤壇、カンボジアリーグ入り - スポーツ報知,2012年7月7日(2012年7月7日時点のアーカイブ
  3. ^ a b 伊藤壇、ブータンのチームと契約!国と地域18番目 - 報知新聞,2015年2月28日
  4. ^ 元Jリーガー、アジアでプレー 16カ国、「懸け橋に」 - 共同通信,2013年5月1日
  5. ^ a b アジア18カ国でプレーの伊藤壇 エイベックスと契約、次の国は… - スポニチ Sponichi Annex,2016年5月2日
  6. ^ a b 伊藤壇、“終着駅”はグアム「平成とともに現役を終えたい」43歳「アジアの渡り鳥」が引退覚悟(スポーツ報知)”. Yahoo!ニュース. 2019年3月4日閲覧。
  7. ^ アジア転戦 16番目はモンゴル 札幌出身の元Jリーガー 伊藤さん - 北海道新聞,2013年4月19日
  8. ^ アジア転戦、17番目はラオス 札幌出身の元Jリーガー伊藤 - 北海道新聞,2013年12月24日
  9. ^ レンタル移籍 - 伊藤壇オフィシャルブログ,2014年5月7日
  10. ^ a b c 伊藤壇のプロフィール”. ザ・テレビジョン. 2020年1月2日閲覧。
  11. ^ 元仙台MF伊藤壇、東ティモールのクラブと契約 - 日刊スポーツ,2016年11月11日
  12. ^ こんなサッカー人生もある 20カ国・地域でボールを蹴った「アジアの渡り鳥」伊藤壇”. 朝日新聞 (2018年10月16日). 2020年1月2日閲覧。
  13. ^ チャレンジャス・キッズ”. 伊藤壇 (2017年10月12日). 2020年1月2日閲覧。
  14. ^ 「チャレンジャス・ゴールド」がスタート”. 伊藤壇 (2018年1月10日). 2020年1月2日閲覧。
  15. ^ ““アジアの渡り鳥”伊藤壇が43歳で引退。22ヶ国でプレーした驚異のキャリアに幕”. フットボールチャンネル. (2019年5月9日). https://www.footballchannel.jp/2019/05/09/post320685/ 2019年8月30日閲覧。 
  16. ^ 砂田秀人 (2020年3月15日). “22か国プレー“アジアの渡り鳥”伊藤壇氏がクラーク高指導者に「3年で全国導く」”. スポーツ報知. 2020年3月15日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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