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伊藤萬助 (2代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いとう まんすけ

伊藤 萬助
生誕 1879年3月29日
死没 (1963-03-22) 1963年3月22日(83歳没)
職業 実業家
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2代目伊藤 萬助(いとう まんすけ、明治12年(1879年3月29日 - 昭和38年(1963年3月22日[1])は、日本実業家。大阪府多額納税者[2]伊藤萬商店社長[2]。伊藤萬会長[3]大日本紡績、和歌山染工、宮川モスリン、日本レイヨン(現:ユニチカ)、太陽レーヨン(現:帝国繊維)各監査役[2]。羽州屋、洋反物[2]。前名卯三郎[2]

先代伊藤萬助の長男[2]

人物像

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趣味は書画骨董[3]宗教真宗[3]。住所は兵庫県神戸市東灘区御影町郡家寺ノ前[3]大阪市東区在籍[3]

家族・親族

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伊藤家

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大阪府大阪市東区本町[2]兵庫県神戸市東灘区御影町[3]
  • 父・萬助[2]
  • 母・しな(大阪、中村平兵衛二女[2]
万延元年11月生[2] - 没
萬治郎分家[2]、伊藤萬専務[4]
明治16年(1883年)3月生[2] -昭和40年(1965年)5月30日没[4]
同妻・カナ大阪貯蓄銀行頭取山口竹治郎[5]
良三(分家[2]、3代伊藤萬社長[6]
明治26年(1893年)11月生[2] - 昭和54年(1979年10月31日[6]
豊四郎(分家[2]ユニチカ常務[7]
明治31年(1898年)1月生[2] - 平成2年(1990年)12月21日[7]
萬龜分家して大谷藤治郎を迎える[2]
明治22年(1889年)11月生[2] - 没
ます(大阪府多額納税者高田久右衛門に嫁す[8][2]
明治19年(1886年)3月生[2] - 没
明治16年(1883年)6月生[2] - 没
明治43年(1910年3月4日[3] - 平成2年(1990年5月4日[9]
  • 長女・静子(寛妻[3]
明治44年(1911年)11月生[3] - 没

脚注

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  1. ^ 読売新聞』1963年3月24日付け夕刊9頁「伊藤万助氏(伊藤万前取締役会長)死去」
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上イ九八
  3. ^ a b c d e f g h i j k 第二十一版 人事興信録 』(昭和36年)い六六
  4. ^ a b 『読売新聞』1965年5月31日付け朝刊15頁「伊藤万治郎氏(元伊藤万専務)死去」
  5. ^ 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)下ヤ一〇八
  6. ^ a b 『読売新聞』1979年11月1日付け朝刊23頁「伊藤良三氏(元伊藤万社長)死去」
  7. ^ a b 『日外アソシエーツ whoplus』「伊藤 豊四郎(イトウ トヨシロウ, ユニチカ常務)」請求番号:363110
  8. ^ 『人事興信録』(昭和3年)タ一〇九
  9. ^ 『日外アソシエーツ whoplus』 「伊藤 寛(イトウ ヒロシ, 伊藤万会長)」請求番号:018031

関連

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