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伊藤雅俊 (1924年生の実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊藤 雅俊 (いとう まさとし、1924年4月30日 - 2023年3月10日)は、日本実業家イトーヨーカ堂セブン-イレブン・ジャパンデニーズジャパン[1][2]の設立者である。元日本チェーンストア協会会長。出身地は東京都。その手法は「資本主義の精神」そのものと言われた[3]

人物・経歴

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東京都生まれ。1944年横浜市立商業専門学校(現横浜市立大学)卒業、三菱鉱業(現三菱マテリアル)入社。大日本帝国陸軍特別甲種幹部候補生(特甲幹)を経て、日本の降伏[4]足立区北千住で家業の「羊華堂」という名称の洋品店に参画[2]

1958年ヨーカ堂(現イトーヨーカ堂)を設立し、同社代表取締役社長に就任。1973年ヨークセブン(現セブン-イレブン・ジャパン)を設立し、同社代表取締役社長に就任。同年デニーズジャパンを設立し、同社代表取締役社長に就任。1978年セブン-イレブン・ジャパン会長、1978年日本チェーンストア協会会長。1981年デニーズジャパン会長[1][2]

1996年イトーヨーカ堂名誉会長[5]。2005年からセブン&アイ・ホールディングス名誉会長を務め、2016年には長年自身の後任を務めてきた鈴木敏文セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長兼CEOを、創業家と伊藤邦雄取締役(創業家と同姓だが、一族ではない)らで退任に追い込んだ[6][7]

2023年3月10日老衰のため死去。98歳没[8]

親族

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交友

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  • アークス代表取締役社長の横山清とは家族ぐるみのつきあいがある[7]
  • 伊藤雅俊味の素代表取締役社長とは、同姓同名が縁となり会食を開く仲となった[9]
  • イズミ創業者の山西義政とは、商圏が重複しなかったことから互いに情報交換を重ねるなど関係が深かった。このことが、鈴木敏文の退任で創業家の影響が再度強まった後のセブン&アイとイズミの業務提携の基礎となった。
  • ダイエー創業者の中内功とは商売ではライバルであったが、互いの子息が慶應義塾大学で同窓で、同ゼミであったという関係もあって面識があり、晩年は中内学園名誉理事も務めていた。

称号

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著書

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関連項目

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脚注

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  1. ^ a b 「創立者プロフィール」 Ito Scholarship Foundation
  2. ^ a b c 「伊藤雅俊「消費者が見える経営に戻りたい」」日経ビジネス
  3. ^ ためらいの天下人、イトーヨーカ堂創業者の「任せる力」
  4. ^ 「第112回 「売り上げは、お客様からの支持率だ。利益は仕事の段取りや効率を示すモノサシである。」イトーヨーカ堂 元社長 伊藤雅俊 」経営プロ
  5. ^ 「伊藤雅俊(読み)いとう まさとし」講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  6. ^ 「「91歳vs83歳」内紛で激震セブン&アイの暗雲」毎日新聞2016年4月9日
  7. ^ a b 「迷走セブン&アイ(下)ビルから出てください(迫真) 」NIKKEI MESSE
  8. ^ "セブン&アイ・HDの伊藤雅俊名誉会長が死去". 産経ニュース. 産経デジタル. 13 March 2023. 2023年3月13日閲覧
  9. ^ a b 伊藤雅俊(24)同姓同名の偉人 ヨーカ堂の伊藤さん 母も同名 社長内定の祝電 日本経済新聞2019/3/25付日本経済新聞 朝刊
  10. ^ 創業家エース 表舞台に セブン&アイ取締役 伊藤順朗氏 イズミと提携お膳立て 2018/4/24付日本経済新聞 朝刊
  11. ^ 名誉理事 - 流通科学大学”. www.umds.ac.jp. 2022年5月27日閲覧。
先代
(設立)
イトーヨーカ堂(旧ヨーカ堂)社長
初代:1958年 - 1992年
次代
鈴木敏文
先代
(設立)
ヨークセブン(現セブン-イレブンジャパン)社長
初代:1973年 - 1978年
次代
鈴木敏文
先代
(設立)
デニーズジャパン社長
初代:1973年 - 1981年
次代
田村節男
先代
岡田卓也
日本チェーンストア協会会長
第3代:1978年 - 1980年
次代
西川俊男