伏見 (伏見型砲艦)
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艦歴 | |
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計画 | ③計画 |
起工 | 1938年7月15日 |
進水 | 1939年3月26日 |
就役 | 1939年7月15日 |
除籍 | 1947年5月3日 |
性能諸元(竣工時) | |
排水量 | 基準:304t 公試:350t |
全長 | 50.3m |
全幅 | 9.80m |
吃水 | 1.20m (公試平均) |
主缶 | ホ号艦本式混焼缶2基 |
主機 | 艦本式タービン2基2軸 2,200hp |
速力 | 17.0kt |
航続距離 | 1,400NM / 14.0kt (重油54t) |
乗員 | 61名 |
兵装 (竣工時) |
短8cm単装高角砲1門 25mm連装機銃1基 |
伏見(ふしみ)は、日本海軍の砲艦。伏見型砲艦の1番艦である。艦名は先代伏見の襲用で、この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。
艦歴
[編集]藤永田造船所において建造。1939年1月20日、本艦と他3隻(初鷹、雪風、伊号第15潜水艦)はそれぞれ艦艇類別等級表に類別される[1]。同年7月15日に竣工した。
日中戦争において、長江遡行作戦に加わった。太平洋戦争においては、長江流域の警備に従事した。1944年10月1日に軍艦から除かれ艦艇の砲艦に類別が変更された。11月26日、安慶で中国軍機の攻撃を受け大破着底し、引揚げられ上海に曳航されたが、終戦時には航行不能の状態であった。その後、中華民国に接収され国府海軍の「江鳳 Chiang-Feng」となるが、1949年に中華人民共和国の所属となった。
艦長
[編集]- 艤装員長
- 艦長/砲艦長
- 藤谷安宅 中佐:1939年7月15日[3] - 1940年11月15日[4]
- 谷口秀志 中佐:1940年11月15日[4] - 1942年8月1日[5]
- 繼一 少佐/中佐:1942年8月1日[5] - 砲艦長 1944年10月1日[6] - 1944年10月10日[7]
- (兼)繼一 中佐:1944年10月10日[7] - 1944年12月23日[8] (本職:第一砲艦隊司令)、以後砲艦長の発令無し。
同型艦
[編集]- 隅田 [II]
脚注
[編集]- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.70『昭和十四年一月二十日(内令四七)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|軍艦ノ部中敷設艦ノ項中沖島ノ下ニ「、初鷹」ヲ加ヘ、砲艦熱海型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ|伏見型|伏見| 驅逐艦ノ部中陽炎型ノ項中初風ノ下ニ「、雪風」ヲ加フ|潜水艦一等ノ部中伊七號型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |伊十五型|伊號第十五|』
- ^ 「昭和14年4月1日付 海軍辞令公報(部内限)第321号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075600
- ^ a b 「昭和14年7月17日付 海軍辞令公報(部内限 第359号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076000
- ^ a b 「昭和15年11月15日付 海軍辞令公報(部内限)第555号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079400
- ^ a b 「昭和17年8月1日付 海軍辞令公報(部内限)第910号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086500
- ^ 昭和19年10月1日付 海軍大臣官房 官房人機密第1805号。
- ^ a b 「昭和19年10月14日付 秘海軍辞令公報 甲 第1619号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101500
- ^ 「昭和20年1月2日付 秘海軍辞令公報 甲 第1683号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072102800
参考資料
[編集]- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷)』海軍大臣官房、1940年。
- 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集 航空母艦・水上機母艦』ダイヤモンド社、2005年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
関連項目
[編集]- 大日本帝国海軍艦艇一覧
- 伏見 [I] (砲艦)