会津高田町
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あいづたかだまち 会津高田町 | |||||
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廃止日 | 2005年10月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 会津高田町、会津本郷町、新鶴村→会津美里町 | ||||
現在の自治体 | 会津美里町 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 福島県 | ||||
郡 | 大沼郡 | ||||
市町村コード | 07441-1 | ||||
面積 | 195.67 km2 | ||||
総人口 |
14,540人 (国勢調査、2005年10月1日) | ||||
隣接自治体 | 会津若松市、会津本郷町、新鶴村、昭和村、柳津町、下郷町 | ||||
町の木 | 梅 | ||||
町の花 | アヤメ | ||||
会津高田町役場 | |||||
所在地 |
〒969-6292 福島県大沼郡会津高田町字宮北3163番地 | ||||
外部リンク |
会津高田町 (Internet Archive) | ||||
座標 | 北緯37度27分35秒 東経139度50分28秒 / 北緯37.45983度 東経139.84114度座標: 北緯37度27分35秒 東経139度50分28秒 / 北緯37.45983度 東経139.84114度 | ||||
ウィキプロジェクト |
会津高田町(あいづたかだまち)は、福島県大沼郡にあった町である。
2005年10月1日、会津本郷町、新鶴村と合併して会津美里町となった。
地理
[編集]会津盆地の南西部に位置する。北部・東部は盆地の平野部が広がり、コシヒカリ、ひとめぼれなどを中心とした稲作が盛んである。南部・西部は山間地となっており会津高原へとつながる。
- 山 :博士山、神篭ヶ岳
- 河川:宮川
- 湖沼:古潟沼
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により高田村、田川村、赤沢村、永井野村、尾岐村、東尾岐村、旭村、藤川村が成立。
- 1896年(明治29年)7月1日 高田村が町制施行して高田町となる。
- 1927年(昭和2年)4月1日 田川村が高田町に編入される。
- 1955年(昭和30年)3月31日 高田町、赤沢村、永井野村、尾岐村、東尾岐村、旭村、藤川村が合併し会津高田町となる。
- 2005年(平成17年)10月1日 会津本郷町、新鶴村と合併して会津美里町となる。
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]- 国道401号(博士峠は冬季閉鎖)
水道
[編集]同町と合併された新鶴村では、1954年(昭和29年)以来、簡易水道を布設して管理を行ってきたが、1963年(昭和38年)5月新屋敷水源地が汚染され赤痢病が発生し714名の罹患者を出し、金田利雄新鶴村長を筆頭とした村当局は原因究明、整備、補強工事等の危機対応にあたり、調査の結果、当該水源地は安全上問題があり、その代替として二岐、仏沢両地区に安全性に優れた水源地を見出し、金田利雄新鶴村長のもと、参院建設委員長等歴任の大河原一次参議院議員と連携して国会に請願した「簡易水道布設費国庫補助に関する請願」が1963年(昭和38年)12月21日に受理され、その結果、大規模測量、大規模工事を要する大事業であった広域簡易水道を完成させた。
著名な出身者
[編集]- 金田利雄(新鶴村長、福島協和信用組合理事長)
- 大石邦子(作家)
- 小池信三(三栄建築設計創業者・社長、メルディアDC社長、湘南ベルマーレ名誉会長)
- 小林典子(元アナウンサー)
- 佐治幸平 (自由民権運動家)
- 平田紀一(山梨、群馬各県知事、富山市長)
- 渡部英敏(会津美里町長)
- 前田實(秋田銀行頭取)
- 松平勇雄(福島県知事、行政管理庁長官)
- 水戸光子(女優)
- 若林健次(漫画家)
- 渡部勝彦(指揮者)
- 小林美登利(大正時代から昭和にかけてブラジルで活躍した教育家、牧師、剣道師範。聖州義塾創立者。ブラジルの日系人としてパイオニア的な存在)
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 会津高田町ホームページ(2005/12/01アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project