住谷悌
住谷 悌(すみや てい、1896年〈明治29年〉1月18日[1][2] - 1959年〈昭和34年〉2月14日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍主計少将。
経歴
[編集]茨城県出身[1][2][3]。水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)を経て[1]、1917年(大正6年)5月、陸軍経理学校(11期)を卒業[4]。同年12月、三等主計に任官し歩兵第16連隊付となる[1]。1921年(大正10年)4月、二等主計に、1926年(大正15年)3月、一等主計にそれぞれ昇進[1]。1927年(昭和2年)12月、第1師団経理部員(参謀本部付)に就任[1]。1930年(昭和5年)8月、関東陸軍倉庫付に転じ、1932年(昭和7年)4月、関東軍司令部付(満州国軍軍事顧問)となる[1]。同年8月、三等主計正に進級した[1]。
1934年(昭和9年)6月、経理学校教官に就任し、対満事務局勤務を経て、1937年(昭和12年)8月、主計中佐に昇進し第1軍経理部員に発令され日中戦争に出征[1]。1938年(昭和13年)11月、中支那派遣軍経理部付に転じ、1939年(昭和14年)10月、経理学校研究部員に発令され帰国[1][3]。1935年(昭和15年)8月、主計大佐に昇進した[1][3]。
1941年(昭和16年)11月、支那派遣軍総司令部付に発令され中国戦線に出征[1][2][3]。1942年(昭和17年)10月、第17軍経理部長に発令され太平洋戦争に出征[1][2][3]。1943年(昭和18年)8月、陸軍燃料本部会計部長に転じて帰国[1][3]。1944年(昭和19年)3月、同経理部長に就任し、同年8月、主計少将に進級し終戦を迎えた[1][2][3]。1945年(昭和20年)12月、予備役に編入された[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
栄典
[編集]- 外国勲章佩用允許
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。