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佐々木久四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐々木 久四郎
ささき きゅうしろう
生年月日 文政10年7月13日1827年9月3日
出生地 日本の旗 日本 陸奥国黒川郡成田村
(現富谷市
没年月日 (1895-01-13) 1895年1月13日(67歳没)
前職 富谷村助役
所属政党 無所属
称号 従七位

当選回数 1回
在任期間 1890年2月 - 1894年9月

当選回数 1回
在任期間 1889年4月 - 1889年12月
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佐々木 久四郎(ささき きゅうしろう、文政10年7月13日1827年9月3日〉- 1895年明治28年〉1月13日)は、明治時代日本政治家宮城県黒川郡富谷村2代村長[1]。宮城県第4大区小5区副戸長・宮城県第3大区小1区副戸長・富谷村初代助役を歴任した。位階正七位勲等勲六等[2]

来歴

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文政10年7月13日1827年9月3日)、陸奥国黒川郡成田村(現在の富谷市西成田)に佐々木亀蔵の次男として生まれた。15歳のとき、成田村の佐々木弥右衛門の家を継ぎ、明治5年4月9日1872年6月10日)の大区小区制施行時には宮城県第4大区小5区の副戸長を高橋運治と務めることになった。その後、村扱や戸長・土木委員・通信委員・学務係・小学校資産管理人等の役職に就いた[2]

1889年明治22年)4月1日に宮城県で町村制が施行されるにあたり、周辺の村との合併のため連絡と村民の親和に尽力し、町村制施行後は公選によって富谷村の初代助役となった[2]。このときの村長には今泉村出身の山本良盛収入役には富谷村出身の内ヶ﨑良作が推挙された。山本良盛の退任後、1890年(明治23年)2月には村長に就任し、1894年(明治27年)9月まで村長を務めた[1]

1895年明治28年)1月13日、病のため享年69歳で亡くなった[2]

年譜

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人物

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脚注

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  1. ^ a b c 富谷町誌編纂委員会『富谷町誌』富谷町、1965年、144-146頁。doi:10.11501/3004994https://dl.ndl.go.jp/pid/3004994/1/1032023年7月17日閲覧 
  2. ^ a b c d e 富谷町誌編纂委員会『富谷町誌』富谷町、1965年、665-666頁。doi:10.11501/3004994https://dl.ndl.go.jp/pid/3004994/1/1032023年7月17日閲覧 
  3. ^ a b c d e 富谷町誌編纂委員会『富谷町誌』富谷町、1965年、142-143頁。doi:10.11501/3004994https://dl.ndl.go.jp/pid/3004994/1/1032023年7月17日閲覧 
  4. ^ a b c d e 黒川郡教育会『黒川郡誌』名著出版、1972年、154-159頁。doi:10.11501/9569071https://dl.ndl.go.jp/pid/9569071/1/12023年7月18日閲覧 
  5. ^ 富谷町誌編纂委員会『富谷町誌』富谷町、1965年、396頁。doi:10.11501/3004994https://dl.ndl.go.jp/pid/3004994/1/1032023年7月17日閲覧 
  6. ^ 富谷町誌編纂委員会『富谷町誌』富谷町、1965年、561頁。doi:10.11501/3004994https://dl.ndl.go.jp/pid/3004994/1/1032023年7月17日閲覧 

関連項目

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公職
先代
山本良盛
宮城県黒川郡富谷村長
1890年 - 1894年
次代
内ヶ崎儀左衛門
先代
新設
宮城県黒川郡富谷村助役
1890年 - 1894年
次代
村岡隆世