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奈良坂権六

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

奈良坂 権六(ならさか ごんろく、1867年7月2日慶応3年5月13日[1] - 1923年(大正12年)9月24日[2])は、日本政治家宮城県富谷村長(4期)。

来歴

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陸奥国黒川郡石積村(のち陸前国黒川郡石積村→宮城県黒川郡石積村→富谷村→富谷町、現・富谷市)出身[1]。黒川郡大童村(のち黒川郡富谷村→富谷町、現・富谷市)の奈良坂家の養嗣子となる[1]。西成田小学校教員[1]、学務委員、収入役、富谷村会議員を経て[2]1914年(大正3年)富谷村長に就任した[2][3]。村長は1922年(大正11年)まで務め、村政に尽くした[2]

退任後は仙台市に移り住み、1923年(大正12年)に死去した[2]

脚注

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  1. ^ a b c d 『富谷町誌』672頁。
  2. ^ a b c d e 『富谷町誌』673頁。
  3. ^ 『宮城県町村会七十年史』791頁。

参考文献

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  • 富谷町誌編纂委員会編『富谷町誌』富谷町役場、1965年。
  • 宮城県町村会編『宮城県町村会七十年史』宮城県町村会、1992年。