奈良坂権六
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奈良坂 権六(ならさか ごんろく、1867年7月2日(慶応3年5月13日)[1] - 1923年(大正12年)9月24日[2])は、日本の政治家。宮城県富谷村長(4期)。
来歴
[編集]陸奥国黒川郡石積村(のち陸前国黒川郡石積村→宮城県黒川郡石積村→富谷村→富谷町、現・富谷市)出身[1]。黒川郡大童村(のち黒川郡富谷村→富谷町、現・富谷市)の奈良坂家の養嗣子となる[1]。西成田小学校教員[1]、学務委員、収入役、富谷村会議員を経て[2]、1914年(大正3年)富谷村長に就任した[2][3]。村長は1922年(大正11年)まで務め、村政に尽くした[2]。
退任後は仙台市に移り住み、1923年(大正12年)に死去した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 富谷町誌編纂委員会編『富谷町誌』富谷町役場、1965年。
- 宮城県町村会編『宮城県町村会七十年史』宮城県町村会、1992年。