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山田儀三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山田 儀三郎(やまだ ぎさぶろう、1889年(明治22年)2月13日[1] - 1961年(昭和36年)5月10日[1])は、日本政治家宮城県富谷村長(2期)。

来歴

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宮城県黒川郡富谷村(のち富谷町、現・富谷市)出身[1]。青年時代から村政に関わり、1920年(大正9年)第1回国勢調査員となる[注 1]1925年(大正14年)富谷村会議員に当選する[1]1937年(昭和12年)富谷村長に就任した[1][2]。この間、学務委員、農会議員兼評議員、家屋税調査員、耕地整理組合副理事長、在郷軍人分会顧問、小作調査委員、警防団副団長などを歴任した[1]

一度目の村長は1941年(昭和16年)まで務め[2]、戦後は公職追放となったが[3][注 2]、 公民館副館長、富谷商工会会長などに就任した[1]。追放解除後の1951年(昭和26年)富谷村長に当選[1][2]、二度目の村長は1955年(昭和30年)まで務めた[1][2]

1961年(昭和36年)に死去した[1]

このほか日本赤十字社特別社員、公民館長、民生常任委員などを務めた[4]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『富谷町誌』694頁には「大正十年」と記載されているが、第1回国勢調査が行われた年は「大正9年」。
  2. ^ 追放事由は「翼賛富谷村」。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『富谷町誌』694頁。
  2. ^ a b c d 『宮城県町村会七十年史』791頁。
  3. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、725頁。NDLJP:1276156 
  4. ^ 『富谷町誌』695頁。

参考文献

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  • 富谷町誌編纂委員会編『富谷町誌』富谷町役場、1965年。
  • 宮城県町村会編『宮城県町村会七十年史』宮城県町村会、1992年。