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佐倉市立志津小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐倉市立志津小学校
地図北緯35度43分33秒 東経140度9分43.2秒 / 北緯35.72583度 東経140.162000度 / 35.72583; 140.162000座標: 北緯35度43分33秒 東経140度9分43.2秒 / 北緯35.72583度 東経140.162000度 / 35.72583; 140.162000
過去の名称 印旛郡第六番小学区公立井野町小学校
上志津尋常小学校
井野尋常小学校
志津北尋常小学校
志津南尋常小学校
志津高等小学校
志津尋常高等小学校
千葉県印旛郡志津村国民学校
志津村立志津小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 佐倉市の旗佐倉市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学校コード B112210003343 ウィキデータを編集
所在地 285-0854
千葉県佐倉市上座1156-2
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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佐倉市立志津小学校(さくらしりつ しづしょうがっこう)は、千葉県佐倉市上座にある公立小学校

沿革

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  • 1873年明治6年) - 印旛郡第六番小学区公立井野町小学校として創立。
  • 1887年(明治20年)7月 - 上志津尋常小学校に改称。
  • 1890年(明治23年) - 井野尋常小学校が認可を受け、開校する。
  • 1892年(明治25年)
    • 8月 - 井野尋常小学校を志津北尋常小学校に改称。
    • 9月 - 上志津尋常小学校を志津南尋常小学校に改称。
  • 1896年(明治29年)3月 - 志津高等小学校が開校する。
  • 1906年(明治39年)4月 - 志津高等小学校と志津北尋常小学校が廃校となり、志津尋常高等小学校に再編される。
  • 1908年(明治41年)4月 - 志津南尋常小学校が志津尋常高等小学校と合併し、同校の第一分教場となる。これに併せて、青菅分教場を第二分教場に改称した。
  • 1942年昭和17年) - 千葉県印旛郡志津村国民学校に改称。
  • 1947年(昭和22年) - 学制改革により、校名を志津村立志津小学校に改称する。
  • 1954年(昭和29年) - 市制施行により、校名を佐倉市立志津小学校に改称する。
  • 1955年(昭和30年) - 青菅地区に分校(第二分校)が建つ[1]
  • 1961年(昭和36年)
  • 1962年(昭和37年)9月 - 完全給食を実施。
  • 1966年(昭和41年)9月 - 校舎を移転する。
  • 1967年(昭和42年)3月 - 新校舎が完成する。
  • 1971年(昭和46年)4月 - 佐倉市立井野小学校が開校。井野地区の学区を当校から分離する。
  • 1974年(昭和49年)3月 - 体育館が完成する。
  • 1977年(昭和52年)3月 - 青菅分校が廃校となる[1]
  • 1980年(昭和55年)9月 - 佐倉市立小竹小学校が開校。小竹地区の学区を当校から分離する。
  • 1986年(昭和61年)4月 - 佐倉市立青菅小学校が開校。青菅・先崎地区の学区を当校から分離する。
  • 1987年(昭和62年)6月 - プールが完成する。
  • 1997年平成9年)7月 - 体育館建て替えのため、旧体育館の解体を開始。同年、新体育館の建設工事を始める。
  • 1998年(平成10年)7月 - 新体育館が完成する。
  • 2000年(平成12年)9月 - コンピュータ教室を開設する。
  • 2010年(平成22年)4月 - 特別支援学級を開設する。
  • 2015年(平成27年)4月 - 志津学童保育所を開設する。
  • 2016年(平成28年)11月[3] - 日本大学生産工学部創生デザイン学科により、青菅分校の校舎保存プロジェクト(愛称:AOSUGE PROJECT)が開始される[注 1][3]
  • 2019年(平成31年・令和元年) - 青菅分校の修繕工事が完了。同年10月26日、AOSUGE PROJECTによる活動報告会とお披露目会(公開展示)を開催する[4]
  • 2020年(令和2年)7月17日 - 国の文化審議会で旧青菅分校の校舎を登録有形文化財(建造物)として登録するよう、文部科学大臣に答申する[1][5][6][7]
  • 2021年(令和3年)2月4日 - 旧青菅分校の校舎が登録有形文化財(建造物)に登録される[8]

(出典:[9]

基礎データ

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象徴

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  • 校歌 - 作詞・作曲:伊藤勝治[9]

スローガン

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  • 教育目標 - 自ら学び 豊かに関わり合い たくましく生きる児童の育成[9]

交通

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脚注

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注釈

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  1. ^ 同年10月26日に『AOSUGE PROJECT MEETING vol.01 -廃校の歴史を振り返り、未来を描いていく-』という説明会を日本大学生産工学部キャンパスで開催。当初は同大学による単独事業であったが、同校は2017年(平成29年)3月に佐倉市と人材育成協定を締結し、以降は佐倉市との共同事業となった(※"協定の締結"に関する出典:“日大生産工学部と人材育成などで協定 佐倉市”. 読売新聞(読売新聞社). (2017年3月23日))。

出典

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  1. ^ a b c d e 佐倉市風情ある戦後の木造校舎が千葉県佐倉市で5例目の国登録有形文化財に -旧佐倉市立志津小学校青菅分校校舎-」『財経新聞』2020年7月20日。2023年7月30日閲覧。
  2. ^ 沿革(佐倉市立上志津小学校)”. 佐倉市立上志津小学校. 2023年7月30日閲覧。
  3. ^ a b 旧佐倉市立志津小学校青菅分校保存・創生プロジェクト”. 地(知)の拠点 千葉県COC+. 千葉大学コミュニティ・イノベーションオフィス. 2022年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月30日閲覧。
  4. ^ 本学部創生デザイン学科の学生有志が活動している千葉県旧佐倉市立志津小学校青菅分校保存・活用プロジェクトの報告会が行われました”. 日本大学生産工学部 (2019年12月4日). 2021年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月30日閲覧。
  5. ^ 教育庁教育振興部文化財課: “千葉市教育委員会:登録有形文化財(建造物)の登録の答申について(7月17日)”. 千葉県 (2020年7月17日). 2022年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月30日閲覧。
  6. ^ 旧佐倉市立志津小青菅分校校舎 国登録有形文化財へ」『東京新聞』2020年7月20日。オリジナルの2020年10月17日時点におけるアーカイブ。2023年7月30日閲覧。
  7. ^ 文化審議会、千葉県佐倉市の「旧佐倉市立志津小学校青菅分校校舎」登録有形文化財登録を答申」『観光経済新聞』2020年8月2日。オリジナルの2020年12月19日時点におけるアーカイブ。2023年7月30日閲覧。
  8. ^ 旧佐倉市立志津小学校青菅分校校舎”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2022年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月19日閲覧。
  9. ^ a b c 令和4年度 学校要覧” (PDF). 佐倉市立志津小学校. 2023年7月30日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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