佐藤俊二
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佐藤 俊二(さとう しゅんじ、1896年9月12日 - 1977年1月2日)は、日本の陸軍軍人、医師。最終階級は陸軍軍医少将。
略歴
[編集]愛知県出身。1941年(昭和16年)1月、中支那防疫給水部長に就任。同年8月、軍医大佐に昇進。同年11月、南支那防疫給水部長に転じた。1944年(昭和19年)3月、第5軍軍医部長となり、1945年(昭和20年)6月、軍医少将に進み満州で終戦を迎えた。
戦後、戦犯容疑により逮捕され、1949年(昭和24年)12月、ソ連軍のハバロフスク裁判において強制労働20年の判決を受け、イワノボ将官収容所にて服役。1956年(昭和31年)の日ソ国交回復に伴い釈放され帰国した。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[1]。
脚注
[編集]- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」211頁。
参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。