佐野町 (栃木県)
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さのまち 佐野町 | |
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廃止日 | 1943年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 佐野町、植野村、界村、犬伏町、堀米町、旗川村 → 佐野市 |
現在の自治体 | 佐野市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 栃木県 |
郡 | 安蘇郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
18,170人 (1935年) |
隣接自治体 | 安蘇郡堀米町、犬伏町、界村、旗川村、植野村 |
佐野町役場 | |
所在地 | 栃木県 |
座標 | 北緯36度18分46秒 東経139度34分43秒 / 北緯36.31264度 東経139.57869度座標: 北緯36度18分46秒 東経139度34分43秒 / 北緯36.31264度 東経139.57869度 |
ウィキプロジェクト |
佐野町(さのまち)は栃木県の南西部、安蘇郡に属していた町である。安蘇郡役所の所在地であった。
地理
[編集]- 河川:秋山川
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により以前の佐野町がそのまま安蘇郡佐野町となる。
- 1934年(昭和9年)11月11日 - 町内で陸軍特別大演習。寺岡野外統監部が設けられて昭和天皇が行幸[1]。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 界村、犬伏町、堀米町、旗川村と合併し佐野市(初代)となる。
- 2005年(平成17年)2月28日 - 佐野市が田沼町、葛生町と合併し、佐野市(2代目)となる。
行政
[編集]- 佐野町長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 村山半 | 1889年(明治22年)5月7日 | 1893年(明治26年)5月3日 | |
2 | 村山半 | 1893年(明治26年)5月4日 | 1894年(明治27年)4月6日 | |
3 | 亀田朋次郎 | 1894年(明治27年)4月7日 | 1898年(明治31年)3月30日 | |
4 | 亀田朋次郎 | 1898年(明治31年)4月18日 | 1899年(明治32年)5月1日 | |
5 | 村山半 | 1899年(明治32年)5月17日 | 1899年(明治32年)8月17日 | |
6 | 津久居彦七 | 1899年(明治32年)11月4日 | 1900年(明治33年)11月21日 | |
7 | 村山半 | 1900年(明治33年)12月7日 | 1902年(明治35年)1月27日 | |
8 | 矢部一郎 | 1902年(明治35年)2月18日 | 1904年(明治37年)4月11日 | |
9 | 亀田朋次郎 | 1904年(明治37年)5月9日 | 1908年(明治41年)5月2日 | |
10 | 飯塚健蔵 | 1908年(明治41年)6月6日 | 1911年(明治44年)12月15日 | |
11 | 大川才次郎 | 1912年(明治45年)4月2日 | 1916年(大正5年)3月29日 | |
12 | 大川才次郎 | 1916年(大正5年)3月30日 | 1920年(大正9年)3月29日 | |
13 | 大川才次郎 | 1920年(大正9年)3月30日 | 1924年(大正13年)3月29日 | |
14 | 近藤貞吉 | 1924年(大正13年)3月31日 | 1928年(昭和3年)3月30日 | |
15 | 大川才次郎 | 1928年(昭和3年)6月1日 | 1932年(昭和7年)5月31日 | |
16 | 亀田甚一 | 1932年(昭和7年)6月1日 | 1936年(昭和11年)5月31日 | |
17 | 亀田甚一 | 1936年(昭和11年)6月1日 | 1940年(昭和15年)4月30日 | |
18 | 山田元吉 | 1940年(昭和15年)6月6日 | 1942年(昭和17年)8月28日 | |
19 | 小泉善一郎 | 1942年(昭和17年)9月9日 | 1943年(昭和18年)3月31日 | 佐野市長に就任 |
- 出典:『栃木県町村合併誌 第三巻下』, p. 89-90
交通
[編集]脚注
[編集]- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、75頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
参考文献
[編集]- 『栃木県町村合併誌 第三巻下』 栃木県、1956年3月。