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信国助左衛門吉包

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

信国助左衛門吉包(のぶくに すけざえもん よしかね、生年不詳 - 1693年(元禄6年)8月22日、)は、日本刀工信国派14代であり、筑前信国派に属する[1]福岡藩工。祖父信国吉貞が始めた袋槍で名高い[2]。俗名は助左衛門、平四郎[1]、法名は夢住如幻居士[3]

生涯

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信国助左衛門吉貞ト打┬信国勘助吉次ト打-信国助左衛門吉包ト打 今平四郎-信国勘助重包ト打(中略)
          ├信国平四郎吉政ト打-信国平四郎吉政ト打-信国平四郎重宗ト打(中略)
          └信国孫四郎吉助ト打-信国作左衛門吉貞ト打-信国源市吉親ト打

十三代吉次勘助倅平四郎(中略)助六総領家之様ニ申候
享保四年十一月廿五日 信国助六
           信国平四郎 

本系図は吉包よりの伝聞を1721年(享保6年)徳川吉宗に選ばれ「葵一葉」を許された4名人の一人で息子の信国重包福岡藩家老吉田栄年1719年(享保4年)に示したものである[1]

在世中の記録は見ない。辞世の句「極楽も、地獄も今朝の玉あられ、十万おくどまたはるるらん」が知られる[4]

作品

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  • 刀 銘「筑州住源信國吉包」裏「以南蛮鉄造之」[5]p.439
  • 刀 銘「筑前住源信國吉包」 刃長63cm 福岡市博物館蔵[6]
  • 脇指 銘「筑前住源信國吉包」 福岡市博物館蔵[5]p.436に図
  • 十字鎗 銘「筑前住源信國吉包」[5]p.439

脚注

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  1. ^ a b c 檜垣元吉監修『吉田家伝録:福岡藩』中巻, 大宰府天満宮, 1981, p.793
  2. ^ 常石英明『日本刀の研究と鑑定:新刀編』金園社1980.p.245
  3. ^ 福岡市安国寺過去帳
  4. ^ 安国寺墓銘碑にあったが、現在はなく久野繁樹「筑前新刀の研究(一)」『刀剣美術』p.19に記される
  5. ^ a b c 西日本文化協会編『福岡藩 文化』福岡 : 西日本文化協会,1993,
  6. ^ 福岡市博物館「よみがえる名刀赤羽刀展」2001年パンフレット