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三条西信子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
信子女王 (久邇宮家)から転送)
三条西 信子
(信子女王)
久邇宮家、三条西家
1921年
続柄 久邇宮邦彦王第2王女

全名 三条西 信子(さんじょうにし のぶこ)
身位 女王 →(皇籍離脱
敬称 殿下 →(皇籍離脱)
出生 1904年3月30日
大日本帝国の旗 大日本帝国東京府東京市麻布区
(現・東京都港区六本木)久邇宮邸
死去 (1945-11-08) 1945年11月8日(41歳没)
連合国軍占領下の日本の旗 連合国軍占領下の日本・東京都
埋葬 谷中霊園
配偶者 三条西公正
子女 三条西実兼
四条淑子
木下咊子
久邇実栄
北島洋子
澄子
父親 久邇宮邦彦王
母親 邦彦王妃俔子
栄典 勲二等宝冠章
役職 大日本連合婦人会理事長→会長
国民精神総動員中央連盟評議員
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三条西 信子(さんじょうにし のぶこ、1904年明治37年〉3月30日 - 1945年昭和20年〉11月8日)は、日本の元皇族華族久邇宮邦彦王同妃俔子の第2王女子。三条西公正[注釈 1]侯爵夫人。旧名は、信子女王(のぶこじょおう)。皇籍離脱前の身位女王で、皇室典範における敬称殿下香淳皇后であり、第125代天皇・明仁上皇)の叔母、第126代天皇・徳仁今上天皇)の大叔母にあたる。

生涯 

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1904年(明治37年)3月30日午前3時、久邇宮邦彦王同妃俔子の第2王女子(第4子)として誕生[1]。御七夜の4月5日に「信子」と命名された[1]

久邇宮家は兄弟も多く、財政的にゆとりがある状況ではなかった[2]。こうした中、姉良子女王と妹智子女王は年齢も近く、何事も一緒に過ごした[3]。信子女王と智子女王は、良子女王に心酔し、姉宮の一挙手一投足を真似るほどだった[4]

1918年大正7年)1月に良子女王と皇太子裕仁親王との婚約が内定すると、良子女王は久邇宮邸内に建設された学問所で教育を受けるようになり、良子女王の学友2名と、妹宮である信子女王と智子女王の2名も、共に教育を受けた[5]

信子女王自身は、1924年(大正13年)12月9日に、三条西実義伯爵の嫡男三条西公正(1901年〈明治34年〉 - 1984年〈昭和59年〉)に降嫁した[6]

1936年昭和11年)9月9日、婦人教化団体である大日本連合婦人会[注釈 2]の理事長に推され、受諾した[7]。翌1937年(昭和11年)9月11日、会長就任依頼を受諾[8]。同会は1941年(昭和16年)末に解散を決議し[9]、翌年2月に大日本婦人会に統合された。

同時期には、吉岡彌生とともに国民精神総動員中央連盟の評議員も務めた[10]

1945年(昭和20年)11月8日に逝去した。享年41歳。これに伴い、実姉の香淳皇后をはじめ皇族王公族が喪に服した[11]

子女

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1929年頃撮影、三条西公正と信子

系譜

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信子女王 父:
邦彦王久邇宮
祖父:
朝彦親王久邇宮
曾祖父:
邦家親王伏見宮
曾祖母:
鳥居小路信子
祖母:
泉萬喜子
曾祖父:
泉亭俊益
曾祖母:
不詳
母:
俔子
祖父:
島津忠義
曾祖父:
島津久光
曾祖母:
島津千百子
祖母:
山崎寿満子
曾祖父:
山崎拾
曾祖母:
不詳


栄典

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参考文献

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  • 大日本聯合婦人会『沿革史』大日本聯合婦人会、1942年。全国書誌番号:44026650 
  • 女性自身編集部 編『昭和の母皇太后さま : 昭和天皇と歩まれた愛と激動の生涯 : 保存版』光文社、2000年7月。ISBN 4334900925 

脚注

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注釈

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  1. ^ 帝室博物館鑑査官を務め、戦後は実践女子大学教授。
  2. ^ 同会の理事の一人は、母方の臣籍である島津治子男爵夫人だった。

出典

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  1. ^ a b 明治37年宮内省告示第11号(『官報』号外、明治37年4月5日)(NDLJP:2949542/22
  2. ^ 昭和の母皇太后さま 2000 p.63
  3. ^ 昭和の母皇太后さま 2000 p.64
  4. ^ 昭和の母皇太后さま 2000 p.65
  5. ^ 昭和の母皇太后さま 2000 p.86-87
  6. ^ 大正13年宮内省告示第42号(『官報』第3691号、大正13年12月10日)(NDLJP:2949542/22
  7. ^ 大日本聯合婦人会 1942 p.116
  8. ^ 大日本聯合婦人会 1942 p.118
  9. ^ 大日本聯合婦人会 1942 p.123
  10. ^ 国民精神総動員本部『國民精神總動員運動:昭和十二年度國民精神總動員中央聯盟事業概要』国民精神総動員本部、1940年。全国書誌番号:46013367  p.21
  11. ^ 『官報』第5650号「宮廷録事」、昭和20年11月10日(NDLJP:2962154/4
  12. ^ 千田稔『華族総覧』講談社、2009年7月、116頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  13. ^ 『官報』第3673号「叙任及辞令」、大正13年11月19日(NDLJP:2955821/4

関連項目

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