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倉敷市立大高小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
倉敷市立大高小学校
地図北緯34度34分49秒 東経133度45分25秒 / 北緯34.58025度 東経133.756972度 / 34.58025; 133.756972座標: 北緯34度34分49秒 東経133度45分25秒 / 北緯34.58025度 東経133.756972度 / 34.58025; 133.756972
過去の名称 共進小学校
大高尋常小学校
大高尋常高等小学校
大高国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 倉敷市
設立年月日 1887年4月(共進小学校)
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B133210000378 ウィキデータを編集
所在地 710-0841
岡山県倉敷市堀南621番地
外部リンク www.kurashiki-oky.ed.jp/otaka-e/ ウィキデータを編集
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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倉敷市立大高小学校(くらしきしりつ おおたかしょうがっこう)は、岡山県倉敷市堀南にある市立小学校

沿革

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《主要な出典:[1]

  • 1873年明治06年) - 要知小学を窪屋郡沖村に、明親小学を四十瀬村に、惜陰小学を福井村に、行輿小学を笹沖村に、進徳小学を白楽市村に設置[2]
  • 1880年(明治13年) - 要知小学と明親小学を統合して沖小学校(沖村に設置)とする。また、惜陰小学を富井小学校(富井村に設置)と、行輿小学を笹沖小学校と、進徳小学を日吉小学校とそれぞれ改称。
  • 1887年(明治20年)4月 - 沖小学校、富井小学校、笹沖小学校の3校および日吉小学校の一部を統合して共進小学校を創設する[3]
  • 1889年(明治22年)6月1日 - 沖村・富井村・福井村などが合併して大市村が発足。また、笹沖村・吉岡村・白楽市村などが合併して葦高村が発足。
  • 1890年(明治23年)4月 - 大市村葦高村学校組合が共進小学校の設置者となる[注釈 1][4]
  • 1901年(明治34年)
    • 4月1日 - 大市村と葦高村が合併して大高村が発足、本校は大高村立共進小学校となる。
    • 12月 - 共進小学校を大高尋常小学校と改称[2]
  • 1907年(明治40年)4月 - 高等科を併置して大高尋常高等小学校と改称[2]
  • 1908年(明治41年)4月 - 当時の所在地の表記は岡山県都窪郡大高村大字沖(番地は不詳)[5]
  • 1927年昭和02年)4月1日 - 大高村が倉敷町(旧)・万寿村と合併して倉敷町が発足。倉敷町立となる。所在地の表記は岡山県都窪郡倉敷町大字沖。
  • 1928年(昭和03年)4月1日 - 市制施行により倉敷市に移行。倉敷市立となる。所在地の表記は岡山県倉敷市大字沖。
  • 1931年(昭和06年)4月 - 大高尋常小学校と改称。
  • 1935年(昭和10年)10月10日 - 旧大字地番順改正により新町名となり、現在の所在地の表記に変更[6]
  • 1941年(昭和16年)4月 - 大高国民学校と改称。
  • 1942年(昭和17年) - 火災により焼失[7][注釈 2]
  • 1947年(昭和22年)
  • 1971年(昭和46年)4月1日 - 学区を分離して葦高小学校を新設する[9]
  • 1977年(昭和52年)4月 - 旭丘小学校が開校[10]連島東小学校内に仮設置)。
  • 1978年(昭和53年)4月 - 本校学区から福井地区の一部が旭丘小学校の学区となる。
  • 2008年平成20年)4月1日 - 大高小学校の児童数が急激に増加したため、教室不足を解消するため倉敷南小学校が開校する。学区の一部が倉敷南小学校の学区になる[11]

通学区域が隣接している学校

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脚注

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注釈

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  1. ^ 同学校組合は、1901年(明治34年)4月1日の大高村発足に伴い解散するまで共進小学校の設置者であった。
  2. ^ 被災の範囲・程度については不詳。

出典

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  1. ^ 学校概要(大高小学校 旧ホームページ) - ウェイバックマシン(2010年3月28日アーカイブ分)
  2. ^ a b c 岡山県都窪郡役所 編『都窪郡治誌』都窪郡、1926年10月、454頁。NDLJP:1020757/242 
  3. ^ 『倉敷市史』(第11冊)名著出版、1974年2月、873頁。NDLJP:9573738/486 
  4. ^ 岡山県 編『岡山県郡治誌』(下巻)岡山県、1938年9月、1853頁。NDLJP:1684357/944 
  5. ^ 「出火」『官報』第7448号、1908年4月28日、129頁、NDLJP:2950795/6。「本月十九日…(中略)…大高尋常小学校ヨリ出火二棟焼失」 
  6. ^ 小谷弥 (2007年1月). “堀南の歴史について”. 2024年4月26日閲覧。
  7. ^ 「褒章」『官報』第4947号、1943年7月10日、318頁、NDLJP:2961452/12。「昭和十七年十一月倉敷市大高國民學校火災復舊資金トシテ金一千圓寄附ス」 。なお、別出典の『倉敷市史』(第11冊)874頁にも備考として「昭和17年火災」と記されている。
  8. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、100頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  9. ^ 沿革(倉敷市立葦高小学校 旧ホームページ) - ウェイバックマシン(2007年10月24日アーカイブ分)
  10. ^ 『岡山県市町村合併誌』(続編)岡山県、1981年3月、307頁。NDLJP:9902898/168 
  11. ^ 沿革”. 倉敷市立倉敷南小学校. 2024年4月25日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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