倉貫一毅
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名前 | ||||||
カタカナ | クラヌキ カズキ | |||||
ラテン文字 | KURANUKI Kazuki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1978年11月10日(46歳) | |||||
出身地 | 滋賀県大津市 | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 61kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1994-1996 | 静岡学園高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-1999 | ジュビロ磐田 | 0 | (0) | |||
2000-2006 | ヴァンフォーレ甲府 | 246 | (12) | |||
2007-2008 | 京都サンガF.C. | 35 | (5) | |||
2008-2011 | 徳島ヴォルティス | 137 | (9) | |||
2012-2013 | 京都サンガF.C. | 27 | (0) | |||
2014 | ガイナーレ鳥取 | 32 | (0) | |||
通算 | 477 | (26) | ||||
監督歴 | ||||||
2022 | FC琉球(暫定) | |||||
2023 | FC琉球 | |||||
2023-2024 | Y.S.C.C.横浜 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
倉貫 一毅(くらぬき かずき、1978年11月10日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。
来歴
[編集]滋賀県大津市立南郷中学校卒業。中学時代は父である岩谷篤人[1](のち野洲高校コーチ、現セゾンFC総監督)が当時監督を務めていた地元の強豪クラブ・セゾンFCでプレーし、「『監督の息子やから試合に出てる』と思われたくない」と練習に打ち込んだ[2]。静岡学園高校卒業後、1997年にジュビロ磐田へ入団したが、磐田在籍中の公式戦の出場は無かった。
坂本紘司とは、セゾン、静学、磐田でのチームメイトであり、現在でも親交は厚い。試合後には「紘司には顔では負けるがプレーで勝ちたい」とコメントしている(2007年第2ターム対戦にて)。
出場機会を求め2000年にヴァンフォーレ甲府へ移籍するも、リーグ戦25連敗(引き分け含め)を喫するなど成績は低迷中で、観客動員も伸びず2000年末にはクラブが存続危機に陥いるなど、甲府に移籍してからは苦闘も多かったが、挫けずキャプテンとしてチームを牽引し続け、2005年に見事悲願のJ1昇格を成し遂げた。
2006年4月30日の古巣・磐田戦において福西崇史との接触プレーで左膝前十字靱帯損傷で全治約6か月の重傷を負ったが、同年12月9日の天皇杯5回戦・川崎戦で先発出場し、戦列復帰を果たした。しかしそのシーズンオフに京都サンガF.C.へ移籍。チームを支えるキャプテンの移籍はサポーターの間で物議を醸したが、決して甲府側の待遇に不満を持っていた訳ではなく、家族や将来のことを考えた上で実家に近い京都でのプレーを選んだと本人はコメントを残している。
2007年は京都のJ1昇格に多大な貢献をしたが、翌2008年のJ1での戦いに向けて京都が大幅に戦力を補強したこともあり、出場機会を失った。2008年6月11日付で出場機会を求め、京都との契約を解除し、6月23日にJ2徳島ヴォルティスへの完全移籍が発表。徳島への合流直後から試合に出場し、J2で苦戦が続いていたチームを牽引し続けていた。チームに合流してからの初勝利は2008年9月27日の四国ダービー。
2009年シーズンはキャプテンとして、京都時代以来のJ1昇格に向かって奮闘した。
2012年から、京都へ完全移籍で復帰をはたした。2013年シーズン終了後、契約満了により退団[3]。
2014年、ガイナーレ鳥取へ移籍[4]。2015年1月、契約満了により退団した[5]。
2015年2月、現役引退と[6]、徳島ヴォルティスのホームタウン推進部普及コーチ就任が発表された[7]。
2017年、ユースコーチに就任[8]。2018年8月からユース監督となり、岩谷は「俺を追い越すのは息子かな」と指導者としての後継に期待を持っている[1]。
2021年12月14日、FC琉球のヘッドコーチ就任が発表された[9]。
2022年6月8日、喜名哲裕の解任に伴い、後任が決まるまで暫定的にFC琉球の監督に就任すると発表された[10]。その後、ナチョ・フェルナンデスが新監督に就任するとヘッドコーチとなるが、来季のJ3への降格決定により、同監督が2022年シーズン一杯で退任することを受けて、2023年シーズンから後任の監督に就任することとなった[11]。しかし、開幕10試合で3勝1分6敗と低迷し、5月15日付で監督を解任された[12]。
2023年8月30日、成績不振で解任された星川敬の後任としてY.S.C.C.横浜の監督に就任した[13]。初指揮をした試合は古巣FC琉球との試合だった。2024年12月11日、契約満了に伴い退任[14]。
所属クラブ
[編集]- ユース経歴
- プロ経歴
- 1997年 - 1999年 ジュビロ磐田
- 2000年 - 2006年 ヴァンフォーレ甲府
- 2007年 - 2008年6月 京都サンガF.C.
- 2008年6月- 2011年 徳島ヴォルティス
- 2012年 - 2013年 京都サンガF.C.
- 2014年 ガイナーレ鳥取
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | 磐田 | 30 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1998 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1999 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
2000 | 甲府 | 20 | J2 | 39 | 3 | 2 | 0 | 4 | 0 | 45 | 3 |
2001 | 10 | 25 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 27 | 0 | ||
2002 | 8 | 44 | 1 | - | 3 | 0 | 47 | 1 | |||
2003 | 44 | 0 | - | 3 | 0 | 47 | 0 | ||||
2004 | 41 | 1 | - | 1 | 0 | 42 | 1 | ||||
2005 | 43 | 4 | - | 2 | 0 | 45 | 4 | ||||
2006 | J1 | 10 | 3 | 3 | 0 | 2 | 1 | 15 | 4 | ||
2007 | 京都 | 20 | J2 | 35 | 5 | - | 0 | 0 | 35 | 5 | |
2008 | 8 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||
徳島 | 35 | J2 | 21 | 3 | - | 1 | 0 | 22 | 3 | ||
2009 | 8 | 49 | 3 | - | 1 | 1 | 50 | 4 | |||
2010 | 33 | 2 | - | 2 | 0 | 35 | 2 | ||||
2011 | 34 | 1 | - | 1 | 0 | 35 | 1 | ||||
2012 | 京都 | 18 | 13 | 0 | - | 0 | 0 | 13 | 0 | ||
2013 | 14 | 0 | - | 2 | 0 | 16 | 0 | ||||
2014 | 鳥取 | 8 | J3 | 32 | 0 | - | 2 | 0 | 34 | 0 | |
通算 | 日本 | J1 | 10 | 3 | 3 | 0 | 2 | 1 | 15 | 4 | |
日本 | J2 | 435 | 23 | 3 | 0 | 21 | 1 | 459 | 24 | ||
日本 | J3 | 32 | 0 | - | 2 | 0 | 34 | 0 | |||
総通算 | 477 | 26 | 6 | 0 | 25 | 2 | 508 | 28 |
その他の公式戦
- 2005年
- J1・J2入れ替え戦 2試合1得点
- 2007年
- J1・J2入れ替え戦 1試合0得点
- 2013年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
指導歴
[編集]- 2015年 - 2021年 徳島ヴォルティス
- 2015年 - 2016年 ホームタウン推進部普及コーチ
- 2017年 - 2018年8月 ユース コーチ
- 2018年8月 - 2021年 ユース 監督
- 2022年 - 2023年5月 FC琉球
- 2022年 トップチーム ヘッドコーチ
- 2022年6月 暫定監督
- 2023年 - 同年5月 トップチーム 監督
- 2022年 トップチーム ヘッドコーチ
- 2023年8月 - 2024年 Y.S.C.C.横浜 監督
監督成績
[編集]年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ルヴァンカップ | 天皇杯 | |||
2022 | J2 | 琉球 | - | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | - | - |
2023 | J3 | 17位 | 10 | 10 | 3 | 1 | 6 | - | - | |
YS横浜 | 12位 | 25 | 14 | 8 | 1 | 5 | - | - | ||
2024 | 19位 | 32 | 38 | 7 | 11 | 20 | 2回戦敗退 | 県予選敗退 |
- 2022年はJ2第21節(長崎)、22節(岡山)のみの暫定指揮。
- 2023年FC琉球監督時代は、10試合のみの指揮。退任時点での成績。
- 2023年YSCC横浜監督時代は、8月(J3第25節)から指揮。
脚注
[編集]- ^ a b 「乾には何も教えるな」2005年度選手権優勝、野洲《セクシーフットボール》の陰にいた知られざる“天才軍師” Sports Graphic Number Web(木崎伸也)、2021年1月5日、2021年1月8日閲覧
- ^ Vol.07 倉貫 一毅 - ファンゾーン 徳島ヴォルティス、2021年1月8日閲覧
- ^ “契約満了選手のお知らせ(12/10)”. 京都サンガF.C. (2013年12月10日). 2013年12月10日閲覧。
- ^ “倉貫一毅選手(京都サンガF.C.)新加入のお知らせ”. ガイナーレ鳥取 (2014年1月20日). 2014年1月20日閲覧。
- ^ “契約満了選手のお知らせ”. ガイナーレ鳥取 (2015年1月15日). 2015年1月15日閲覧。
- ^ “倉貫 一毅選手 現役引退のお知らせ”. ガイナーレ鳥取 (2015年2月2日). 2015年2月2日閲覧。
- ^ “倉貫 一毅選手 ホームタウン推進部普及コーチ就任のお知らせ”. 徳島ヴォルティス (2015年2月2日). 2015年2月2日閲覧。
- ^ 2017年度アカデミースタッフについてのお知らせ 徳島ヴォルティス、2017年3月16日
- ^ 倉貫一毅氏 ヘッドコーチ就任のお知らせ FC琉球、2021年12月14日
- ^ 喜名哲裕監督 解任のお知らせ FC琉球、2022年6月8日
- ^ 『倉貫一毅ヘッドコーチ 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)FC琉球、2022年10月28日 。2022年10月28日閲覧。
- ^ 『倉貫一毅監督 解任のお知らせ』(プレスリリース)FC琉球、2023年5月16日 。2023年5月17日閲覧。
- ^ “倉貫一毅氏 監督就任のお知らせ | Y.S.C.C.公式サイト”. NPO法人 Y.S.C.C. 横浜スポーツ&カルチャークラブ (2023年8月30日). 2023年8月30日閲覧。
- ^ “倉貫一毅監督 契約満了のお知らせ”. Y.S.C.C.公式サイト (2024年12月11日). 2024年12月20日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 倉貫一毅 - Soccerway.com
- 倉貫一毅 - FootballDatabase.eu
- 倉貫一毅 - WorldFootball.net
- 倉貫一毅 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 倉貫一毅 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 倉貫一毅 - J.League Data Siteによる選手データ
- 倉貫一毅 - J.League Data Siteによる監督データ