薩川了洋
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名前 | ||||||
カタカナ | サツカワ ノリヒロ | |||||
ラテン文字 | SATSUKAWA Norihiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1972年4月18日(52歳) | |||||
出身地 | 静岡県清水市[1] | |||||
身長 | 175cm[2] | |||||
体重 | 72kg[2] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1988-1990 | 清水商業高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1991-1998 | 全日空/横浜フリューゲルス | 162 | (1) | |||
1999-2005 | 柏レイソル | 161 | (1) | |||
通算 | 323 | (2) | ||||
監督歴 | ||||||
2010-2012 | AC長野パルセイロ | |||||
2013-2015 | FC琉球 | |||||
2016 | SC相模原 | |||||
2017-2018 | 奈良クラブ | |||||
2019 | バンディオンセ加古川 | |||||
2021-2022 | SC相模原U-18 | |||||
2022 | SC相模原 | |||||
2023 | SC相模原U-18 | |||||
2024- | 境トリニタス | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2011年3月6日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
薩川 了洋(さつかわ のりひろ、1972年4月18日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市)出身の元サッカー選手(DF)、サッカー指導者。
来歴
[編集]現役時代
[編集]高校卒業後、全日空に加入。Jリーグ参加に向け、チームが横浜フリューゲルスとなった後もセンターバックおよび右サイドバックとしてプレーした。1999年に柏レイソルに移籍。ディフェンスの中心選手として活躍した。2003年10月26日、J1セカンドステージの浦和レッドダイヤモンズ戦、相手FWエメルソンと交錯した際、右足下腿部を骨折した。全治8ヶ月と診断され、リハビリに励む。実践練習再開直後の練習試合で眉付近を切る怪我もあったが、翌年の2004年8月29日のサンフレッチェ広島F.C戦で復帰し、フル出場した。2005年8月28日にJ1通算300試合出場を果たした[3]。同年シーズンをもって現役を引退。
指導者
[編集]引退後、柏のフロントスタッフに転身。2007年シーズンより柏の普及部コーチとして指導者の道へ進み、2008年より、柏からの出向という形でAC長野パルセイロのコーチに就任。 2010年シーズンより柏からの出向のまま長野の監督に就任し(少なくとも、2011年シーズンまでは柏からの出向であったことが明らかになっている[4])、長野をJFL昇格に導いた。また2011年シーズンは地域リーグ時代からの選手を大きく入れ替えることなく、走力や守備力を重視したチームを作り上げ、リーグ参入1年目にして2位という成績を挙げた。2012年シーズン終了をもってクラブ側の「今が将来のクラブと地域の発展に向けた大きな転換期である」との判断により長野の監督を退任[5]。
2013年より当時JFL所属のFC琉球監督に就任。3シーズン監督を務め、2015年シーズン終了をもってFC琉球の監督を退任した[6]。
2016年よりSC相模原の監督に就任[7] したが、中断期間中に行われた神奈川県サッカー選手権大会(天皇杯神奈川県予選)敗退直後に退任を申し出、8月18日に監督退任と強化部への異動が発表された[8]。
2017年より奈良クラブの監督に就任[9]、2018年11月に契約満了により退任した[10]。
2019年よりバンディオンセ加古川の監督に就任した[11]。10月22日、退任が発表された[12]。
2020年より相模原のヘッドコーチに就任した[13]。2021年9月よりU-18チーム監督に就任[14]。2022年5月にトップチーム監督に就任[15]。
エピソード
[編集]- 愛称は「半袖仕事人(半袖隊長とも)」。理由は寒い気候での試合中も常に半袖のユニフォームでプレーしていたことから。そのことから横浜Fサポーター、レイソルサポーターに「半袖隊」という薩川サポーターがいたほど。だが、その薩川本人はトークショーで「半袖で寒くないですか」と言われた際に「寒い」と答えたが、「自分が長袖にすると『長袖隊』になっちゃうから」と半袖を貫いた [1]。
- 特技は早着替え。着替えの速さでは他の追随を許さなかった。横浜Fで共にプレーしたジーニョは、帰国する際「心残りは薩川より早くシャワーから出られなかったこと」とコメントを残した。
- 横浜Fが横浜Mとの合併を発表し(1999年から横浜F・マリノス)、最後の公式戦となった第78回天皇杯全日本サッカー選手権大会にも参加。準決勝の鹿島アントラーズ戦まで4試合全てに出場したが、この試合で退場となり、決勝の清水エスパルス戦は出場停止となった。チームは優勝し、薩川も有終の美を飾った。
- JSLを含む14シーズンのうち12シーズンでリーグ戦の半数以上の試合に出場し、チームでの信頼は厚かったが、日本代表には一度も招集されなかった。
所属クラブ
[編集]- 清水市立興津小学校[3]
- 清水市立興津中学校[3]
- 清水市立商業高等学校[3]
- 1991年 - 1992年 全日空サッカークラブ
- 1992年 - 1998年 横浜フリューゲルス
- 1999年 - 2005年 柏レイソル
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1991-92 | 全日空 | 33 | JSL1部 | 12 | 0 | 0 | 0 | ||||
1992 | 横浜F | - | J | - | 1 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | |
1993 | 20 | 0 | 5 | 0 | 4 | 0 | 29 | 0 | |||
1994 | 35 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 39 | 0 | |||
1995 | 14 | 0 | - | 0 | 0 | 14 | 0 | ||||
1996 | 22 | 1 | 14 | 2 | 2 | 0 | 38 | 3 | |||
1997 | 3 | 27 | 0 | 10 | 0 | 5 | 0 | 42 | 0 | ||
1998 | 32 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 40 | 0 | |||
1999 | 柏 | J1 | 28 | 0 | 8 | 0 | 4 | 0 | 40 | 0 | |
2000 | 28 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 32 | 0 | |||
2001 | 26 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 31 | 1 | |||
2002 | 28 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 34 | 0 | |||
2003 | 24 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 25 | 0 | |||
2004 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 9 | 0 | |||
2005 | 19 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 23 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 311 | 2 | 59 | 2 | 29 | 0 | 399 | 4 | |
日本 | JSL1部 | 12 | 0 | 0 | 0 | ||||||
総通算 | 323 | 2 | 59 | 2 |
- Jリーグ初出場:1993年5月16日 対清水エスパルス戦 (三ツ沢公園球技場)
- Jリーグ初得点:1996年5月1日 対ジュビロ磐田戦 (ジュビロ磐田スタジアム)
- JSL(1部)初出場:1991年12月1日 対トヨタ自動車戦 (鹿児島県立鴨池陸上競技場)
指導歴
[編集]- 2007年 柏レイソル 普及部コーチ
- 2008年 - 2012年 AC長野パルセイロ
- 2008年 - 2009年 コーチ
- 2010年 - 2012年 監督
- 2013年 - 2015年 FC琉球 監督
- 2016年 - 同年8月 SC相模原 監督
- 2017年 - 2018年 奈良クラブ 監督
- 2019年 バンディオンセ加古川 監督
- 2020年 - 2023年 SC相模原
- 2020年 - 2021年 トップチーム ヘッドコーチ
- 2021年 - 2022年5月 U-18 監督
- 2022年5月 - 同年11月 トップチーム 監督
- 2023年 U-18 監督
- 2024年 - 境トリニタス 監督
監督成績
[編集]年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | リーグ杯 | 天皇杯 | |||
2010 | 長野 | 北信越1部 | 優勝 | 38 | 14 | 12 | 2 | 0 | - | 県予選敗退 |
2011 | JFL | 2位 | 63 | 33 | 19 | 6 | 8 | - | 県予選敗退 | |
2012 | 2位 | 58 | 32 | 17 | 7 | 8 | - | 3回戦 | ||
2013 | 琉球 | 11位 | 46 | 34 | 12 | 10 | 12 | - | 2回戦 | |
2014 | J3 | 9位 | 34 | 33 | 8 | 10 | 15 | - | 2回戦 | |
2015 | 9位 | 45 | 36 | 12 | 9 | 15 | - | 2回戦 | ||
2016 | 相模原 | 7位 | 30 | 20 | 8 | 6 | 6 | - | 県予選敗退 | |
2017 | 奈良ク | JFL | 7位 | 51 | 30 | 10 | 10 | 10 | - | 1回戦 |
2018 | 8位 | 42 | 30 | 12 | 6 | 12 | - | 2回戦 | ||
2019 | 加古川 | 関西1部 | 5位 | 20 | 14 | 6 | 2 | 6 | - | 県予選敗退 |
2022 | 相模原 | J3 | 18位 | 18 | 26 | 4 | 6 | 16 | - | 県予選敗退 |
- 2016年の成績は退任時点の成績。
- 2022年は5月からの就任。
脚注
[編集]- ^ “横浜F、最後の天皇杯決勝で出場停止。薩川了洋が直面したクラブ消滅【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】”. フットボールチャンネル (2017年12月28日). 2019年12月17日閲覧。
- ^ a b 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2005』p72
- ^ a b c d 『薩川 了洋選手 J1リーグ戦通算300試合出場達成!』(プレスリリース)柏レイソル、2005年8月28日 。2019年12月17日閲覧。
- ^ 『薩川了洋アカデミーコーチ 来季もAC長野パルセイロの監督に』(プレスリリース)柏レイソル、2010年12月28日 。2016年8月18日閲覧。
- ^ 『薩川監督勇退のお知らせ』(プレスリリース)AC長野パルセイロ、2012年11月8日 。2016年8月18日閲覧。
- ^ 『薩川了洋監督 退任のお知らせ』(プレスリリース)FC琉球、2015年10月31日 。2015年11月17日閲覧。
- ^ 『薩川了洋 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)SC相模原、2015年12月26日 。2015年12月26日閲覧。
- ^ 『薩川監督退任および強化部へ異動のお知らせ』(プレスリリース)SC相模原、2016年8月18日 。2016年8月18日閲覧。
- ^ 『薩川了洋氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)奈良クラブ、2016年12月13日 。2016年12月13日閲覧。
- ^ 『薩川了洋監督 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)奈良クラブ、2018年11月9日 。2019年2月3日閲覧。
- ^ 『薩川了洋氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)バンディオンセ加古川、2019年2月2日 。2019年2月2日閲覧。
- ^ 『【薩川了洋監督 退任のお知らせ】』(プレスリリース)バンディオンセ加古川、2019年10月22日 。2019年10月26日閲覧。
- ^ 『薩川了洋氏 ヘッドコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)SC相模原、2019年12月17日 。2019年12月17日閲覧。
- ^ 『U-18監督交代のお知らせ』(プレスリリース)SC相模原、2021年8月24日 。2021年8月24日閲覧。
- ^ 『薩川了洋氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)SC相模原、2022年5月23日 。2022年5月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・サントリーシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102318-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102321-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102324-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1997』、小学館、1997 ISBN 4-09-102329-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1998』、小学館、1998 ISBN 4-09-102335-5
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-100-6
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-102-2
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-104-9
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8116-7
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2003』、NTT出版、2003 ISBN 4-7571-8134-5
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2004』、コナミメディアエンタテインメント、2004 ISBN 4-86155-802-6
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2005』、コナミメディアエンタテインメント、2005 ISBN 4-86155-805-0
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102323-1
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-101-4
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-103-0
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8117-5
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2003』、NTT出版、2003 ISBN 4-7571-8135-3
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2004』、コナミメディアエンタテインメント、2004 ISBN 4-86155-801-8
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2005』、コナミメディアエンタテインメント、2005 ISBN 4-86155-806-9
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2006』、コナミ、2006 ISBN 4-86155-812-3
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 薩川了洋 - Soccerway.com
- 薩川了洋 - FootballDatabase.eu
- 薩川了洋 - WorldFootball.net
- 薩川了洋 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 薩川了洋 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 薩川了洋 - J.League Data Siteによる選手データ
- 薩川了洋 - J.League Data Siteによる監督データ
- 薩川了洋 - playmakerstats.com