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三浦文丈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三浦 文丈
名前
愛称 フミ[1]
カタカナ ミウラ フミタケ
ラテン文字 MIURA Fumitake
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1970-08-12) 1970年8月12日(54歳)
出身地 静岡県清水市
(現:静岡市清水区
身長 174cm[2]
体重 72kg[2]
選手情報
ポジション MFDH[3]OH[3]) / FW
利き足 右足[4]
ユース
1986-1988 日本の旗 清水商業高校
1989-1992 日本の旗 筑波大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-1998 日本の旗 横浜マリノス 146 (26)
1999 日本の旗 京都パープルサンガ 23 (4)
1999-2000 日本の旗 ジュビロ磐田 26 (1)
2001-2006 日本の旗 FC東京 100 (6)
通算 295 (37)
代表歴
1985-1986  日本 ジュニアユース
1987-1988  日本 ユース
1989-1991  日本 五輪
1995 日本の旗 日本 0 (0)
監督歴
2010-2012 日本の旗 横浜F・マリノスJY-MM
2016 日本の旗 AC長野パルセイロ
2017 日本の旗 アルビレックス新潟
2019-2021 日本の旗 SC相模原
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

三浦 文丈(みうら ふみたけ、1970年8月12日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)[5]フォワード(FW)。元日本代表

来歴

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現役時代

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小学校2年の時にサッカーを始める[6]。6年次の1982年には清水FCの一員として全日本少年サッカー大会優勝。清水第五中学校3年次には全国中学校サッカー大会準優勝に貢献し、日本ジュニアユース代表に選出された[注 1]

1986年清水市立商業高等学校に進学。3年次の1988年に主将を務め、第67回全国高校サッカー選手権では「タレント軍団」の中でエース・精神的主柱となり[7] 抜群の展開力と運動量で[8] 優勝に貢献した。同期には古賀正人など[注 2]。また同年には日本ユース代表に選出され、AFCユース選手権1988に出場した。

1989年筑波大学進学。1年次からバルセロナ五輪代表に選出され1991年から1992年に行われたバルセロナ五輪アジア予選に出場、最終予選のバーレーン戦ではハットトリックを決める活躍を見せたが、本大会出場に導く事は出来なかった。また4年次の1992年には同大学の主将を務め総理大臣杯関東大学サッカーリーグの二冠に貢献した。

1993年Jリーグ横浜マリノスに入団。初年度からリーグ戦24試合に出場、翌1994年にはリーグ戦38試合に出場し、果敢にドリブル突破を仕掛ける[3][9]FW・攻撃的なMFとして活躍した。1995年にはサントリーシリーズ優勝するとともに、ダイナスティカップ日本代表に初選出されるが、代表としての試合出場は成らなかった。1996年、1997年にはJリーグ選手協会の監事を務めた[10]

1998年は試合出場機会が減少し、翌1999年には横浜M在籍時に指導を受けた清水秀彦に請われて[11]京都パープルサンガへ移籍。三浦知良との2トップも経験するも[9]、清水の監督解任を受けてシーズン途中でジュビロ磐田へと移籍[12][13]。磐田では同年末にJ1年間優勝を経験した[5]。また、この頃からポジションをボランチに転向した[3]

2001年FC東京へと移籍[14][15]。背番号「10」を背負った[注 3]2002年には開幕直後の対浦和戦(埼玉)にて、福田正博と激突し左膝前十字靭帯断裂及び内側側副靱帯を損傷する重傷を負い長期離脱[1]、年末の天皇杯で復帰するも、投入後わずかで自ら交代を申し入れ[1]、本格復帰は翌2003年になった。FC東京ではバランスを取って[6] 中盤を安定させ[17]、攻守に貢献する[3]プレー面だけではなく、チームを束ねる精神的主柱として[18][9][注 4]絶大な信頼を集めた[20][6][17]2004年にはナビスコカップで優勝を果たした。

2005年に入り出場機会を大きく減らしたものの[注 5]、先発出場の際には好パフォーマンスを見せており[22]、三浦としてもJ2など下位クラブならばまだ十分通用するという自信を持っていたが、愛着あるクラブでの現役引退を望み[23]2006年11月24日に現役引退を表明した[5]

指導者

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FC東京残留を希望し[24]、翌2007年から同クラブのトップチームのコーチに就任[25]。指導者としてのキャリアをスタートした。2008年にはFC東京U-15むさしコーチとしてユース世代の指導を経験した。同年限りでFC東京を退団[2]

若手育成に長けるコーチとして古巣の横浜F・マリノスから招聘され[26][27]2009年より横浜FMトップチームコーチに就任[28]。10年ぶりの復帰となった[26]2010年からはジュニアユースのコーチを務め、この間にA級コーチジェネラルライセンス[29] 及びS級ライセンスを取得した[30]

2013年よりアルビレックス新潟のコーチに就任[31][32]。若手育成に携わった[33]。2014年限りで退任[34]

2015年は横浜マリノス在籍時の盟友である鈴木健仁強化部長及び井原正巳監督が在籍する[35]アビスパ福岡でコーチを担当[36]。三浦を含めた横浜OBによるチーム運営は奏功し[37] 井原と良好な関係を築いて[9] J1昇格を掴んだ。翌年、三浦不在の福岡は低迷。専門誌では、選手との橋渡し役として井原に進言できるチーム唯一の存在であった三浦の退任が一因にあると評された[38]

2016年、AC長野パルセイロの監督に就任[39]。チームに球際で戦う姿勢を植え付けて[40]リーグ2位の堅守を築き、クラブから契約更新を打診されていたが[41]、古巣であるアルビレックス新潟からのオファーに応じて[33]、同年末に契約を満了[42]

2017年より新潟監督に就任した[43]。だが開幕10試合で1勝2分7敗の17位に低迷し、5月7日付で休養が発表された[44][45]。その後呂比須ワグナーの監督就任に伴い、正式に辞任した。

2018年、FC東京時代選手とコーチの間柄だった長澤徹が監督を務める[46]ファジアーノ岡山のヘッドコーチに就任した[47]

2019年、SC相模原の監督に就任した[48]。2020年にはチームを2位に導き、クラブ初のJ2昇格を達成した。

2021年も相模原と契約を更新し、引き続き指揮を執ることになった[49]が、同年5月31日に監督を解任された[50]。翌月に松本山雅FCのコーチに就任した[51]

2023年、ジュビロ磐田のコーチに就任した[52]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1993 横浜M - J 24 5 4 0 3 2 31 7
1994 38 8 3 0 4 0 45 8
1995 16 3 - 2 1 18 4
1996 23 2 13 3 1 0 37 5
1997 11 27 3 6 1 1 0 34 4
1998 18 5 4 0 1 0 23 5
1999 京都 8 J1 23 4 3 0 - 26 4
磐田 34 5 1 0 0 3 0 8 1
2000 7 21 0 2 0 2 0 25 0
2001 FC東京 10 27 3 1 1 1 0 29 4
2002 2 0 0 0 1 0 3 0
2003 26 1 4 0 2 0 32 1
2004 22 2 7 0 2 0 31 2
2005 14 0 4 0 1 0 19 0
2006 9 0 0 0 0 0 9 0
通算 日本 J1 295 37 51 5 24 3 370 45
総通算 295 37 51 5 24 3 370 45
その他の公式戦
出場歴

代表・選抜歴

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指導歴

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監督成績

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年度 クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 Jリーグカップ 天皇杯
2016 長野 J3 3位 52 30 15 7 8 - 3回戦敗退
2017 新潟 J1 17位 5 10 1 2 7 - -
2019 相模原 J3 15位 38 34 10 8 16 - -
2020 2位 61 34 16 13 5 - -
2021 J2 22位 11 16 2 5 9 - 2回戦進出
通算 日本 J1 - - 10 1 2 7 - -
日本 J2 - - 16 2 5 9 - -
日本 J3 - - 98 41 28 29 - -
総通算 - - 124 44 35 45 - -
  • 2017年は休養・指揮終了時点の成績。
  • 2021年は解任時点の成績。

タイトル

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選手時代

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指導者時代

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脚注

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注釈
  1. ^ 当時のメンバーには中村忠遠藤昌浩らがいる。
  2. ^ 1学年下には藤田俊哉、2学年下には名波浩山田隆裕大岩剛がいる。なお、藤田、大岩とは筑波大でもチームメイトとなった。
  3. ^ 三浦曰く「たまたま」。30番以内で空いている番号が10番だけだったので、10番を選んだとのこと[16]
  4. ^ 外国籍選手も三浦の存在の大きさを実感し、コメントを残している。ブラジル人MFケリーとはスペイン語でコミュニケーションをとっていた[19]
  5. ^ 2005年はリーグ戦14試合に出場したが、そのうち先発出場は2試合[21]
出典
  1. ^ a b c 『FC東京ファンブック2003』毎日新聞社、2003年、26頁。 
  2. ^ a b c 三浦文丈コーチ(U-15むさし)について FC東京 (2008年12月24日)
  3. ^ a b c d e f 『FC東京ファンブック 2006』毎日新聞社、2006年、29頁。 
  4. ^ Jリーグ選手名鑑 (2005年版)”. 2005年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月12日閲覧。 スポーツニッポン
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 三浦文丈選手 現役引退のお知らせ”. 2007年9月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月19日閲覧。 FC東京 (2006年11月24日)
  6. ^ a b c 『FC東京ファンブック2005』毎日新聞社、2005年、39頁。 
  7. ^ 『国立ファイナル 全国高校サッカー選手権大会』ベースボール・マガジン社、2014年、44-45頁。 
  8. ^ 『高校サッカー 伝説の名勝負&プレイヤー列伝』カンゼン、2005年、58頁。 
  9. ^ a b c d 【新潟】「タイトルをもたらす男」三浦文丈新監督の誓い。カズと2トップを結成したことも… サッカーダイジェストweb (2016年12月31日)
  10. ^ Jリーグ選手協会 JPFA 役員名簿1996同 1997
  11. ^ 『FC東京ファンブック2001』毎日新聞社、2001年、76-79頁。 
  12. ^ 三浦文丈選手の新加入のお知らせ”. 2001年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月12日閲覧。 ジュビロ磐田 (1999年10月18日)
  13. ^ ジュビロ磐田 新加入選手 三浦文丈選手について”. 2001年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月12日閲覧。 ジュビロ磐田 (1999年10月19日)
  14. ^ 三浦文丈選手 FC東京へ移籍”. 2001年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月12日閲覧。 ジュビロ磐田 (2001年1月10日)
  15. ^ 三浦文丈選手 加入のお知らせ”. 2004年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月12日閲覧。 FC東京 (2001年1月9日)
  16. ^ 『FC東京ファンブック2003』毎日新聞社、2003年、70頁。 
  17. ^ a b 365日 FC東京 原語録 三浦はさすがですよ。味方が安心できる【ナビスコ杯の千葉戦(21日)終了後】 東京中日スポーツ (2005年5月24日)
  18. ^ 【HOT6!J1は7月の6試合が激アツ!】再開後はこう戦う! F東京編 Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2005年6月27日)
  19. ^ ケリーのHEAT UP <最終回> 戸惑う僕を助けてくれたフミさんはとても大きな存在だった”. 2005年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月10日閲覧。 東京中日スポーツ (2004年12月22日)
  20. ^ 東京の切り札は三浦! リード守り切る”. 2005年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月18日閲覧。日刊スポーツ (2005年7月16日)
  21. ^ 選手出場記録 Jリーグ (2005年12月3日)
  22. ^ 連敗脱出へ 茂庭起爆剤 東京中日スポーツ (2009年4月25日)
  23. ^ 三浦文丈引退 26日浦和戦 味スタラストゲーム 東京中日スポーツ (2006年11月25日)
  24. ^ 【FC東京ニュース】フミさんがコーチで帰ってくる 東京中日スポーツ (2006年12月20日)
  25. ^ 2007年シーズン新体制を発表 FC東京 (2007年1月14日)
  26. ^ a b クラブOBの三浦文丈コーチ招聘へ…横浜M”. 2008年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月20日閲覧。 スポーツ報知 (2008年12月17日)
  27. ^ OB三浦文丈氏が横浜コーチ就任へ スポーツニッポン (2008年12月17日)
  28. ^ 来季のコーチングスタッフについて [横浜FM] Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2008年12月24日)
  29. ^ 2010(平成22)年度 公認A級コーチジェネラル養成講習会 合格者 【84名】 (PDF) 日本サッカー協会 2011.04.14
  30. ^ 2011年度 第10回理事会 協議事項 (PDF) 日本サッカー協会 (2012年2月9日)
  31. ^ 三浦文丈ジュニアユース監督契約満了のお知らせ 横浜F・マリノス (2012年12月25日)
  32. ^ トップチームコーチに三浦 文丈氏 就任のお知らせ アルビレックス新潟 (2012年12月25日)
  33. ^ a b 新潟三浦新監督就任「アルビらしさ取り戻す」 日刊スポーツ (2016年12月23日)
  34. ^ 三浦 文丈コーチ 退任のお知らせ アルビレックス新潟 (2014年12月22日)
  35. ^ J2福岡の来季監督に井原氏が就任! ヘッドには盟友・三浦氏か サンケイスポーツ (2014年11月25日)
  36. ^ 三浦 文丈 氏 トップチーム コーチ就任のお知らせ アビスパ福岡 (2014年12月22日)
  37. ^ ここまで健闘するとは…井原監督の手腕で福岡は生まれ変わった 夕刊フジ (2015年11月26日)
  38. ^ 『エルゴラッソ イヤーブック2016 (J1・J2リーグシーズンレビュー)』三栄書房、2016年、95頁。 
  39. ^ 2016シーズントップチーム 三浦文丈新監督就任のお知らせ AC長野パルセイロ (2015年12月14日)
  40. ^ AC長野、混戦の前半戦4位 最少失点の堅守がけん引 信濃毎日新聞 (2016年7月7日)
  41. ^ AC長野、三浦監督に続投要請 信濃毎日新聞 (2016年12月1日)
  42. ^ 三浦文丈監督 契約満了のお知らせ AC長野パルセイロ (2016年12月8日)
  43. ^ 2017シーズン監督に 三浦 文丈氏 決定のお知らせ - 2016年12月12日 アルビレックス新潟公式HP
  44. ^ 三浦 文丈監督 休養のお知らせ - 2017年5月7日 アルビレックス新潟公式HP
  45. ^ 17位低迷の新潟 三浦監督の休養を発表 片渕コーチが暫定指揮 - 2017年5月7日 スポーツニッポン
  46. ^ 三浦文丈氏 J2岡山コーチ就任!11年ぶり師弟コンビ復活へ スポーツニッポン (2017年12月23日)
  47. ^ 三浦文丈氏 ヘッドコーチ就任のお知らせ ファジアーノ岡山FC (2018年1月9日)
  48. ^ 三浦文丈 監督就任のお知らせ SC相模原 (2019年1月11日)
  49. ^ 三浦文丈監督 契約更新のお知らせ SC相模原(2021年1月22日)
  50. ^ 三浦文丈監督 解任のお知らせ』(プレスリリース)SC相模原、2021年5月31日https://www.scsagamihara.com/news/post/202105310022021年5月31日閲覧 
  51. ^ 三浦 文丈氏 トップチームコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)松本山雅FC、2021年6月22日https://www.yamaga-fc.com/archives/2583922021年8月2日閲覧 
  52. ^ 三浦 文丈コーチ 就任のお知らせ』(プレスリリース)ジュビロ磐田、2022年12月25日https://www.jubilo-iwata.co.jp/newslist/detail/?nw_seq=8686&year=2022&month=122023年1月8日閲覧 
  53. ^ a b c d 登録選手一覧表”. 2014年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月12日閲覧。 Jリーグ (2006年12月8日)

関連項目

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外部リンク

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