秋葉忠宏
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名前 | ||||||
愛称 | AKB[1] | |||||
カタカナ | アキバ タダヒロ | |||||
ラテン文字 | AKIBA Tadahiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1975年10月13日(49歳) | |||||
出身地 | 千葉県千葉市若葉区 | |||||
身長 | 173cm[2] | |||||
体重 | 68kg[2] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / DF(CB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1991-1993 | 市立船橋高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1994-1996 | ジェフユナイテッド市原 | 54 | (2) | |||
1997 | アビスパ福岡 | 0 | (0) | |||
1998 | セレッソ大阪 | 5 | (0) | |||
1999-2004 | アルビレックス新潟 | 204 | (2) | |||
2005-2006 | 徳島ヴォルティス | 62 | (2) | |||
2006 | → ザスパ草津(loan) | 11 | (0) | |||
2007-2008 | ザスパ草津 | 68 | (0) | |||
2009-2010 | SC相模原 | |||||
通算 | 404 | (5) | ||||
代表歴 | ||||||
1995 | 日本 U-20 | 4 | (0) | |||
1996 | 日本 U-23 | 1 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2009-2010 | SC相模原 | |||||
2013-2014 | ザスパクサツ群馬 | |||||
2020-2022 | 水戸ホーリーホック | |||||
2023- | 清水エスパルス | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
秋葉 忠宏(あきば ただひろ、1975年10月13日 - )は、千葉県千葉市若葉区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー(センターバック)。
来歴
[編集]クラブ
[編集]船橋市立船橋高等学校から1994年にジェフユナイテッド市原に入団。1995年からレギュラーとなり、主にボランチとして活躍。同年U-20日本代表として1995 FIFAワールドユース選手権に出場し、センターバックとしてチームの準々決勝進出に貢献した。翌1996年にはアトランタオリンピックのアジア予選を突破し、日本の28年ぶりの五輪出場に貢献。本大会のメンバーにも選出された。しかしナイジェリアとの試合でスタメンの田中誠の負傷退場によって急遽出場するもオウンゴールを犯してしまい、結果的にこの1失点が響き2勝しながらもグループリーグ敗退となった。同年のレギュラーシーズンは怪我などもあって出場機会が減少し、1997年にアビスパ福岡へ、1998年にセレッソ大阪へ、1999年にJ2・アルビレックス新潟へ移籍。2001年シーズンの主将に就任。以後チームの中心選手として活躍し、献身的なプレーで2003年のチームのJ1昇格にも大きく貢献した。その後2005年に徳島ヴォルティスへ移籍。2006年9月からザスパ草津へ期限付き移籍を経て2007年に完全移籍[3]。2009年からは神奈川県社会人サッカーリーグのSC相模原で監督兼選手としてプレー。2010年限りで退団し、現役を引退した。
現役引退後
[編集]2011年から2012年まで水戸ホーリーホックのヘッドコーチを務めた。
2013年にザスパクサツ群馬の監督に就任。2014年シーズン終了をもって群馬の監督を退任した[4]。
2014年12月、2016年リオデジャネイロオリンピックを目指すU-21日本代表のコーチに就任した[5]。2017年からは2019 FIFA U-20ワールドカップを目指すU-18日本代表のコーチに就任[6]。2020年1月付けで日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフの契約を満了する[7]。
2020年から水戸ホーリーホックの監督に就任すると発表された[8]。
2022年をもって水戸ホーリーホックの監督を退任することが発表された[9]。
2023年に清水エスパルスのヘッドコーチに就任。4月にゼ・リカルドの後任として監督に就任[10]。
2024年5月6日、ザスパ群馬戦に勝利し、J2通算100勝を達成した[11]。
人物・エピソード
[編集]- 草津時代の元チームメイトの秋葉信秀は従弟にあたる。
- 2002年から2007年までJリーグ選手協会の副会長を務めた。
- 2016年リオデジャネイロオリンピックにU-23日本代表コーチとして帯同、大会直前の練習でメンバーが足りなくなったためボランチとして現役に混ざってプレーした際、衰えていない技術を見せてFW浅野拓磨を「すごい選手だったんですね」と驚かせた[12]。
所属クラブ
[編集]- 千葉市立千城台南中学校[2]
- 船橋市立船橋高等学校[2]
- 1994年 - 1996年 ジェフユナイテッド市原
- 1997年 アビスパ福岡
- 1998年 セレッソ大阪
- 1999年 - 2004年 アルビレックス新潟
- 2005年 - 2007年 徳島ヴォルティス
- 2007年 - 2008年 ザスパ草津
- 2009年 - 2010年 SC相模原
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1994 | 市原 | - | J | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
1995 | 37 | 1 | - | 1 | 0 | 38 | 1 | ||||
1996 | 16 | 1 | 9 | 0 | 0 | 0 | 25 | 1 | |||
1997 | 福岡 | 15 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |
1998 | C大阪 | 13 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | |
1999 | 新潟 | 22 | J2 | 35 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 40 | 0 |
2000 | 6 | 32 | 1 | 2 | 0 | 3 | 0 | 37 | 1 | ||
2001 | 43 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 45 | 0 | |||
2002 | 41 | 1 | - | 3 | 0 | 44 | 1 | ||||
2003 | 39 | 0 | - | 4 | 0 | 43 | 0 | ||||
2004 | J1 | 14 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 19 | 0 | ||
2005 | 徳島 | 17 | J2 | 41 | 0 | - | 1 | 0 | 42 | 0 | |
2006 | 21 | 1 | - | - | 21 | 1 | |||||
草津 | 30 | 11 | 0 | - | 2 | 0 | 13 | 0 | |||
2007 | 17 | 41 | 0 | - | 2 | 0 | 43 | 0 | |||
2008 | 27 | 0 | - | 0 | 0 | 27 | 0 | ||||
2009 | 相模原 | 5 | 神奈川県2部 | 0 | - | - | 0 | ||||
2010 | 6 | 神奈川県1部 | - | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 73 | 2 | 18 | 0 | 1 | 0 | 92 | 2 | |
日本 | J2 | 331 | 3 | 6 | 0 | 18 | 0 | 355 | 3 | ||
日本 | 神奈川県1部 | - | |||||||||
日本 | 神奈川県2部 | 0 | - | - | 0 | ||||||
総通算 | 404 | 5 | 24 | 0 | 19 | 0 | 447 | 5 |
この節の加筆が望まれています。 |
指導歴
[編集]- 2009年 - 2010年 SC相模原 監督
- 2011年 - 2012年 水戸ホーリーホック ヘッドコーチ
- 2013年 - 2014年 ザスパクサツ群馬 監督
- 2014年12月 - 2020年1月 日本サッカー協会 ナショナルコーチングスタッフ
- 2014年12月 - 2016年 U-21/U-22/U-23日本代表 コーチ
- 2017年 - 2019年 U-18/U-19/U-20日本代表 コーチ
- 2020年 - 2022年 水戸ホーリーホック 監督
- 2023年 - 清水エスパルス
- 2023年 - 同年4月 コーチ
- 2023年4月 - 監督
監督成績
[編集]年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | |||
2009 | 神奈川県2部 | 相模原 | 優勝 | 11 | 33 | 11 | 0 | 0 | - | 県予選敗退 |
2010 | 神奈川県1部 | 優勝 | 11 | 29 | 9 | 2 | 0 | - | 県予選敗退 | |
2013 | J2 | 群馬 | 20位 | 42 | 40 | 9 | 13 | 20 | - | 2回戦敗退 |
2014 | 18位 | 42 | 49 | 14 | 7 | 21 | - | 4回戦敗退 | ||
2020 | 水戸 | 9位 | 42 | 58 | 16 | 10 | 16 | - | - | |
2021 | 10位 | 42 | 59 | 16 | 11 | 15 | - | 2回戦敗退 | ||
2022 | 13位 | 42 | 54 | 14 | 12 | 16 | - | 2回戦敗退 | ||
2023 | 清水 | 4位 | 35 | 69 | 20 | 9 | 6 | GS敗退 | 2回戦敗退 |
- 2009年、2010年は選手兼任
- 2023年は途中就任
代表歴
[編集]- U-20日本代表
- 1995年 1995 FIFAワールドユース選手権
- U-23日本代表
- 1996年 アトランタオリンピック
脚注
[編集]- ^ @hollyhock_staff (2020年6月8日). "全体トレーニングが始まり今日で1週間❗️久しぶりにみんなに会えた喜びを歌とダンスで表現したAKB監督、、改め #秋葉忠宏 監督⚽️". X(旧Twitter)より2020年11月18日閲覧。
- ^ a b c d 登録選手一覧表 Jリーグ 2008.12.12
- ^ 『秋葉忠宏選手 ザスパ草津へ完全移籍のお知らせ』(プレスリリース)徳島ヴォルティス、2007年1月10日 。2018年10月24日閲覧。
- ^ 【トップチーム】秋葉忠宏監督 今季限りで退任のお知らせ ザスパクサツ群馬 オフィシャルサイト
- ^ 『秋葉忠宏氏 U-21日本代表タイ・バングラデシュ遠征(12月11日~20日)コーチ選出のお知らせ』(プレスリリース)J's GOAL(ザスパクサツ群馬)、2014年12月5日 。2014年12月5日閲覧。
- ^ “U18代表は影山雅永氏、U15は有馬氏が監督就任”. 日刊スポーツ. (2017年1月20日) 2018年10月24日閲覧。
- ^ 『秋葉忠宏ナショナルコーチングスタッフ 契約期間満了のお知らせ publisher=日本サッカー協会』(プレスリリース)2019年10月21日 。2019年11月19日閲覧。
- ^ 『秋葉 忠宏氏 2020シーズン監督就任のお知らせ』(プレスリリース)水戸ホーリーホック、2019年12月2日 。2019年12月2日閲覧。
- ^ “秋葉忠宏監督の来季契約について”. 水戸ホーリーホック公式サイト (2022年10月2日). 2022年10月17日閲覧。
- ^ “秋葉 忠宏 監督就任のお知らせ”. 清水エスパルス公式WEBサイト. 2023年4月3日閲覧。
- ^ “J2清水 秋葉監督がJ2通算100勝を達成 「多くの方に支えてもらった」 - スポニチ Sponichi Annex サッカー”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年9月28日閲覧。
- ^ 浅野もビックリ!? 超絶スルーパスに「初めてすごい選手だと…」 - ゲキサカ 2016.7.25
関連項目
[編集]- 千葉県出身の人物一覧
- ジェフユナイテッド市原・千葉の選手一覧
- アビスパ福岡の選手一覧
- セレッソ大阪の選手一覧
- アルビレックス新潟の選手一覧
- 徳島ヴォルティスの選手一覧
- ザスパクサツ群馬の選手一覧
- SC相模原の選手一覧
外部リンク
[編集]- 秋葉忠宏 - Olympedia
- 秋葉忠宏 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 秋葉忠宏 - Soccerway.com
- 秋葉忠宏 - FootballDatabase.eu
- 秋葉忠宏 - WorldFootball.net
- 秋葉忠宏 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 秋葉忠宏 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 秋葉忠宏 - FIFA主催大会成績
- 秋葉忠宏 - J.League Data Siteによる選手データ
- 秋葉忠宏 - J.League Data Siteによる監督データ
- 秋葉忠宏の監督成績 - thefinalball.com