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上村健一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上村 健一
名前
愛称 うえみぃ
カタカナ ウエムラ ケンイチ
ラテン文字 UEMURA Kenichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1974-04-22) 1974年4月22日(50歳)
出身地 熊本県八代市
身長 180cm
体重 74kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
日本の旗 福山市立瀬戸小学校
1987-1989 日本の旗 福山市立済美中学校
1990-1992 日本の旗 松永高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-2003 日本の旗 サンフレッチェ広島 251 (23)
2004 日本の旗 セレッソ大阪 (loan) 15 (0)
2005-2006 日本の旗 東京ヴェルディ1969 19 (0)
2006 日本の旗 Y.S.C.C.横浜 0 (0)
2007-2008 日本の旗 ロアッソ熊本[注 1] 58 (3)
通算 243 (26)
代表歴2
1996  日本U-23 2 (1)
2001 日本の旗 日本 4 (0)
監督歴
2019 日本の旗 カマタマーレ讃岐
2024-  中国U-16
1. 国内リーグ戦に限る。2009年1月3日現在。
2. 2001年6月7日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

上村 健一(うえむら けんいち、1974年4月22日 - )は、熊本県八代市生まれの元サッカー選手DF)、サッカー指導者。元日本代表。

来歴・人物

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熊本県生まれ。小学校5年時に広島県福山市に転居。小中学校の1年先輩に家本政明がいた。広島県立松永高等学校から1993年にサンフレッチェ広島に入団。同期入団は、盧廷潤アンドレイ安部雄大若松賢治

ヘディングの強いDFとして、Jリーグ発足直後から試合にも出場、当初は相手に強力なエースストライカーがいる時、それをマンマークで抑える時に出番があった。特に1994年優勝したサントリーシリーズ天王山となった清水エスパルス戦で、清水のエース・トニーニョをハードマークし、仕事をさせなかった。その後、靭帯断裂からの回復を経て、1996年にはアトランタオリンピックオリンピック日本代表として出場。登録こそDFであったが、ヘディングの強さを生かし、試合終盤の前線でのパワープレー要員として起用された。実際、ブラジル戦とハンガリー戦で試合終盤にFWの位置で途中出場をし、ハンガリー戦では投入直後にコーナーキックからファーストタッチとなるヘディングで得点を挙げる。

2001年にはフランスに大敗後、守備の立て直しに着手したフィリップ・トルシエの日本代表に招集され4月のスペイン戦でA代表デビュー。しかし試合終盤に負傷交代しチームが失点して敗戦すると、トルシエは会見で「敗因は最後まで責任を全うできなかった上村にある」と発言している。FIFAコンフェデレーションズカップ2001などにも召集され、Aマッチ計4試合に出場したが、2002 FIFAワールドカップには選出されなかった。その後、両膝を悪くしてから足の速いフォワードに振り切られることが多くなった。

その後2003年にJ2に降格した広島を1年でJ1に復帰させるが、戦力構想外となり2004年はセレッソ大阪期限付き移籍[1]、さらに2005年は東京ヴェルディ1969(現・東京ヴェルディ)に移籍したが、ヴェルディではまたもJ2降格の憂き目にあってしまった。

2006年10月30日、関東サッカーリーグ1部・横浜スポーツ&カルチャークラブに完全移籍、第30回全国地域リーグ決勝大会で主力として活躍。2007年からはJFL・ロッソ熊本(現・ロアッソ熊本)へ移籍。不動のセンターバックとして活躍し、熊本のJ2昇格に貢献した。2008年のシーズンを最後に現役引退。現役最終戦の対戦相手は奇しくも古巣の広島で、両クラブのサポーターから大きな声援を送られた。

2009年、熊本のコーチに就任。2010年より熊本のアカデミーコーチに就任。

2013年、熊本からの期限付き移籍によりカマタマーレ讃岐のトップチームヘッドコーチに就任。翌年完全移籍[2]

2018年9月13日の日本サッカー協会理事会でJFA公認S級コーチに認定された。[3]

2018年12月、讃岐の監督に就任すると発表された[4]。2019年11月25日、今シーズン限りで契約満了により退任すると発表された[5]

2020年から広州富力(現・広州城)でコーチ。2021シーズンは広州城U-14監督。[6]

トピックス

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2007年2月6日、清水エスパルスとの練習試合において、戸田光洋と激しく接触。 その後の謝罪態度が問題視され、当月は全ての対外試合に出場停止となり、地域奉仕活動に従事することになった。

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1993 広島 - J 17 1 6 0 2 0 25 1
1994 26 0 1 0 2 0 29 0
1995 46 4 - 4 0 50 4
1996 12 2 7 0 0 0 19 2
1997 19 3 0 0 0 0 0 3 0
1998 17 0 0 0 3 0 20 0
1999 J1 29 7 4 1 5 1 38 9
2000 28 6 3 0 2 0 33 6
2001 25 2 5 0 2 0 32 2
2002 10 1 0 0 4 0 14 1
2003 J2 38 0 - 4 0 42 0
2004 C大阪 J1 15 0 6 0 0 0 21 0
2005 東京V 18 0 4 0 1 0 23 0
2006 J2 1 0 - - 1 0
YS横浜 関東1部 0 0 - - 0 0
2007 熊本 JFL 30 3 - 1 0 31 3
2008 J2 28 0 - 0 0 28 0
通算 日本 J1 246 23 36 1 25 1 307 25
日本 J2 67 0 - 4 0 71 0
日本 JFL 30 3 - 1 0 31 3
日本 関東1部 0 0 - - 0 0
総通算 343 26 36 1 30 1 409 28

代表歴

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出場大会など

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試合数

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  • 国際Aマッチ 4試合 0得点(2001年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2001 4 0
通算 4 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 2001年04月25日 スペインの旗コルドバ  スペイン ●0-1 フィリップ・トルシエ 国際親善試合
2. 2001年05月31日 日本の旗新潟県 新潟スタジアム  カナダ ○3-0 コンフェデレーションカップ
3. 2001年06月04日 日本の旗茨城県 茨城県立カシマサッカースタジアム  ブラジル △0-0 コンフェデレーションカップ
4. 2001年06月07日 日本の旗神奈川県 横浜国際総合競技場  オーストラリア ○1-0 コンフェデレーションカップ

経歴

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クラブ

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代表

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  • 初出場 2001年4月25日  スペイン代表戦(コルドバ)

指導歴

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  • 2009年 - 2012年 ロアッソ熊本
    • 2009年 トップチームコーチ
    • 2010年 - 2012年 アカデミーコーチ
  • 2013年 - 2019年 カマタマーレ讃岐
    • 2013年 - 2016年 トップチームヘッドコーチ
    • 2017年 トップチームコーチ
    • 2018年 トップチームヘッドコーチ
    • 2019年 トップチーム監督
  • 2020年 -  中国広州城広州富力) 
    • 2020年 トップチームコーチ
    • 2021年 U13監督

監督成績

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年度 クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 Jリーグ杯 天皇杯
2019 カマタマーレ讃岐 J3 14位 39 34 10 9 15 2回戦敗退

脚注

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  1. ^ 2007年はロッソ熊本

出典

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関連項目

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外部リンク

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