コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

望月重良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
望月 重良
名前
愛称 シゲ、王様
カタカナ モチヅキ シゲヨシ
ラテン文字 MOCHIZUKI Shigeyoshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1973-07-09) 1973年7月9日(51歳)
出身地 静岡県清水市
(現・静岡市清水区)
身長 176cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1989-1991 日本の旗 清水商業高校
1992-1995 日本の旗 筑波大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2000 日本の旗 名古屋グランパスエイト 119 (16)
2000 日本の旗 京都パープルサンガ 9 (0)
2001-2002 日本の旗 ヴィッセル神戸 49 (1)
2003-2004 日本の旗 ジェフユナイテッド市原 7 (0)
2003 日本の旗 ベガルタ仙台 14 (1)
2005-2006 日本の旗 横浜FC 2 (0)
通算 200 (18)
代表歴2
1997-2001[1] 日本の旗 日本 15 (1)
監督歴
2011 日本の旗 SC相模原
1. 国内リーグ戦に限る。2006年12月31日現在。
2. 2001年3月24日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

望月 重良(もちづき しげよし、1973年7月9日 - )は、静岡県出身の元日本代表プロサッカー選手サッカー指導者、実業家。株式会社INTERNATIONAL SPORTS CLUB代表取締役社長、JリーグSC相模原創業者兼フェロー。現役時代のポジションミッドフィールダー

人物

[編集]

筑波大学在学中に1995年夏季ユニバーシアードサッカー競技の日本代表に選出され、優勝に貢献。大学卒業後の1996年より名古屋グランパスエイトに入団。1997年日本代表に初めて選出され、特にトルシエ体制では人材不足だった右サイドの候補として多く起用され、AFCアジアカップ2000決勝戦ではゴールを決め優勝に貢献した(このゴールは代表唯一のゴール)[2]。しかしポジションを争う明神智和波戸康広に押され出番が減り、さらに市川大祐の台頭もありW杯本大会メンバーからは落選した。

2000年7月、大岩剛平野孝とともに「チームの秩序を乱した」という理由で名古屋を解雇される。その後は5つのクラブを渡り歩く。2006年8月末で横浜FCとの契約が切れた後は無所属となり、翌2007年1月末、正式に現役引退を発表した[3]。なお、2004年に国の特定疾患(難病)に指定されている特発性大腿骨頭壊死症と医師に診断され、引退するまで3年間リハビリを続けながらプレーしていたことを後に告白している[2][4]

2006年、相模原市の居酒屋で知人との食事中に店の大将からチーム設立を頼まれたことがきっかけとなり[5][6]2008年2月、自ら全額を出資してSC相模原を創設し代表取締役に就任。神奈川県社会人サッカーリーグ3部から活動を開始した。関東サッカーリーグ2部に参戦していた2011年には自ら監督を兼任し、リーグ優勝と関東リーグ1部昇格に導いた。SC相模原は2013年にはJFLに入会し、翌2014年にはJリーグへの入会およびJ3リーグ参加を果たした。クラブ創設から6年で史上最速でのJリーグ入会である[5]

2022年10月26日、望月個人および望月が代表を務める株式会社INTERNATIONAL SPORTS CLUBが保有するSC相模原の株式74.2%をDeNAに譲渡することが発表され、DeNAの連結子会社化に伴い2023年2月1日付でSC相模原代表取締役会長を退任した[7][8][9]

この他、サッカー解説者やサッカー指導者としての活動も行なっている[10][11]。2013年にはJFA 公認S級コーチライセンスを取得。また、現役引退した2007年から2017年まで10年間、中日スポーツにコラムを連載していた[12]

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1995 筑波大 - - - 2 0 2 0
1996 名古屋 - J 26 5 11 0 1 0 38 5
1997 9 17 3 10 3 1 1 28 7
1998 34 2 4 2 4 0 42 4
1999 J1 29 6 6 1 5 1 40 8
2000 13 0 0 0 - 13 0
京都 8 9 0 2 0 1 0 12 0
2001 神戸 10 24 0 4 0 2 1 30 1
2002 25 1 6 0 1 0 32 1
2003 市原 11 7 0 3 0 - 10 0
仙台 33 14 1 - 0 0 14 1
2004 市原 10 0 0 0 0 0 0 0 0
2005 横浜FC 33 J2 2 0 - 0 0 2 0
2006 22 0 0 - - 0 0
通算 日本 J1 198 18 46 6 15 3 259 27
日本 J2 2 0 - 0 0 2 0
日本 - - 2 0 2 0
総通算 200 18 46 6 17 3 263 27

その他の公式戦

国際試合


代表歴

[編集]

出場大会など

[編集]

試合数

[編集]
  • 国際Aマッチ 15試合 1得点(1997-2001)[1]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1997 2 0
1998 1 0
1999 2 0
2000 9 1
2001 1 0
通算 15 1

出場

[編集]
No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1997年06月15日 日本の旗大阪府 長居陸上競技場  トルコ ○1-0 加茂周 キリンカップ
2. 1997年06月25日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ネパール ○3-0 ワールドカップ予選
3. 1998年10月28日 日本の旗大阪府 長居陸上競技場  エジプト ○1-0 フィリップ・トルシエ キリンチャレンジ
4. 1999年06月29日 パラグアイの旗アスンシオン  ペルー ●2-3 コパ・アメリカ
5. 1999年07月05日 パラグアイの旗ペドロ・ファン・カバジェロ  ボリビア △1-1 コパ・アメリカ
6. 2000年02月05日 香港の旗香港  メキシコ ●0-1 カールスバーグカップ
7. 2000年03月15日 日本の旗愛知県 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場  中華人民共和国 △0-0 キリンビバレッジ
8. 2000年04月26日 大韓民国の旗ソウル  韓国 ●0-1 国際親善試合
9. 2000年06月18日 日本の旗神奈川県 横浜国際総合競技場  ボリビア ○2-0 キリンカップ
10. 2000年08月16日 日本の旗広島県 広島広域公園陸上競技場  アラブ首長国連邦 ○3-1 キリンチャレンジ
11. 2000年10月17日 レバノンの旗サイダ  ウズベキスタン ○8-1 アジアカップ
12. 2000年10月20日 レバノンの旗ベイルート  カタール △1-1 アジアカップ
13. 2000年10月24日 レバノンの旗ベイルート  イラク ○4-1 アジアカップ
14. 2000年10月29日 レバノンの旗ベイルート  サウジアラビア ○1-0 アジアカップ
15. 2001年03月24日 フランスの旗サンドニ  フランス ●0-5 国際親善試合

得点

[編集]
# 開催日 開催地 会場 相手 結果 大会
1 2000年10月29日 レバノンの旗ベイルート  サウジアラビア ○1-0 アジアカップ

指導歴

[編集]

著書

[編集]
  • 『もう一回蹴りたかった』ぴあ、2008年3月31日。ISBN 4835616901 

脚注

[編集]
  1. ^ a b “望月 重良”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ma/shigeyoshi_mochizuki.html 
  2. ^ a b 難病と闘う元Jリーガー・望月さん、体験を一冊に”. 朝日新聞 (2008年5月13日). 2013年9月21日閲覧。
  3. ^ 元代表の望月が引退”. ゲキサカ (2007年1月31日). 2023年12月2日閲覧。
  4. ^ プロスポーツ選手たちの「苦悩の日々」』(プレスリリース)週刊現代、2012年2月13日https://gendai.media/articles/-/31778?page=62014年12月6日閲覧 
  5. ^ a b 白岩貢 (2015年8月7日). ““みんなでつくる”チームで、史上最速のJリーグ加入”. 日経XTECH. 2023年12月2日閲覧。
  6. ^ 【インタビュー】望月重良(SC相模原代表)「クラブ誕生10年、情熱の旅路 #1」”. サカノワ (2018年1月5日). 2023年12月2日閲覧。
  7. ^ "DeNAの当社株式の追加取得による連結子会社化について" (Press release). SC相模原. 26 October 2022. 2023年12月2日閲覧
  8. ^ "DeNAの連結子会社化および新体制のお知らせ" (Press release). SC相模原. 1 February 2023. 2023年12月2日閲覧
  9. ^ 藤原清美 (2023年3月26日). “滞在中の本人を直撃。元日本代表MF望月重良がブラジルで語った“サードキャリア””. フットボリスタ. 2023年12月2日閲覧。
  10. ^ コーチ紹介”. SKYサッカーアカデミー. 2023年12月2日閲覧。
  11. ^ 親子で学ぼう!サッカーアカデミー”. BS日テレ. 2009年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月2日閲覧。
  12. ^ 望月重良 (2017年3月24日). “感謝 これからもサッカー界の発展に力を尽くす”. 中日スポーツ. 2017年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月2日閲覧。
  13. ^ 来季の新加入選手および退団選手など(の移籍先)について(2月17日現在)』(プレスリリース)京都パープルサンガ、2002年2月17日。オリジナルの2002年12月20日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20021220152946fw_/http://www.kyoto-purple-sanga.co.jp:80/news/2001/1211transfer.htm2017年10月19日閲覧 
  14. ^ 望月 重良選手 ベガルタ仙台へ期限付き移籍決定のお知らせ』(プレスリリース)Jリーグ、2003年8月12日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=17272017年10月26日閲覧 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]