僕とフリオと校庭で

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僕とフリオと校庭で
ポール・サイモンシングル
初出アルバム『ポール・サイモン
B面 コングラチュレーション
リリース
規格 7インチ・シングル
ジャンル ロック
時間
レーベル コロムビア・レコード
作詞・作曲 ポール・サイモン
プロデュース ポール・サイモン
ロイ・ハリー
チャート最高順位
ポール・サイモン シングル 年表
母と子の絆
(1972年1月)
僕とフリオと校庭で
(1972年3月)
ダンカンの歌
(1972年6月)
ミュージックビデオ
「Me and Julio Down by the Schoolyard」 - YouTube
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僕とフリオと校庭で[2](原題: Me and Julio Down by the Schoolyard)は、ポール・サイモンが作詞作曲し1972年に発表した楽曲。

概要[編集]

レコーディングにはデヴィッド・スピノザ(アコースティック・ギター)、ラッセル・ジョージ(ベース)、アイアート・モレイラ(パーカッション)らが参加。アメリカのポピュラー音楽では聞き慣れないパーカッションの音は、クイーカというブラジルの打楽器によるもの。

1972年1月14日発売のアルバム『ポール・サイモン』に収録された[3]。同年3月20日にシングルカットされる。B面は「コングラチュレーション」[1]

「お父さんは調査が必要だと言い始めた/それは法に反していると/ママが見たもの/それは法に反していた」と歌われるが、最後まで「それ」が何を指すかは明かされない。『ローリング・ストーン』1972年7月20日号でジョン・ランドー(Jon Landau)はサイモンに歌詞の意味を尋ねた。

ランドー 「ママが見たものって一体何だったんですか? 今世界中が知りたがっています」

サイモン 「それが何なのかなんて僕には分からない」

ランドー 「4人の人間が私に言ったんです。お前が真っ先に聞くべきはこのことだと」

サイモン 「何か性的なものじゃないかとは思うけれど、僕がその『何か』を答えたとしてもみんなの理解をわざわざ妨げるつもりはないよ。どちらでもいいことだから」[4]

同年5月27日から6月3日にかけて2週連続でビルボード・Hot 100で22位を記録した[5][6]。ビルボードのイージーリスニング・チャートでは9位を記録した。イギリスは15位、カナダは6位、アイルランドは19位、ニュージーランドは7位を記録した。

別バージョン[編集]

  • ポール・サイモン - ライブ・アルバム『Paul Simon's Concert in the Park』(1991年)。1991年8月15日、NY、セントラル・パークにて録音。
  • ポール・サイモン - 『ポール・サイモン』2004年リマスター盤。1971年2月、サンフランシスコでのデモ録音。

脚注[編集]

関連項目[編集]