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母と子の絆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「母と子の絆」
ポール・サイモンシングル
初出アルバム『ポール・サイモン
B面 パラノイア・ブルース
リリース
規格 7インチ・シングル
ジャンル ロックレゲエ
時間
レーベル コロムビア・レコード
作詞・作曲 ポール・サイモン
プロデュース ポール・サイモン
ロイ・ハリー
チャート最高順位
ポール・サイモン シングル 年表
母と子の絆
(1972年1月)
僕とフリオと校庭で
(1972年3月)
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母と子の絆」(原題: Mother and Child Reunion)は、ポール・サイモンが作詞作曲し1972年に発表した楽曲。

概要

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ジミー・クリフデズモンド・デッカー、バイロン・リーなどジャマイカの音楽家のファンであったポール・サイモンはアルバム『明日に架ける橋』の制作時に、スカのリズムを取り入れた「手紙が欲しい」をレコーディングした。しかしサイモン自身は曲の出来栄えに不満を抱いており[2]アート・ガーファンクルとデュオを解消後、レゲエ/スカに再び挑戦する意欲を燃やした。

ソロ・アルバムを共同プロデュースすることとなったロイ・ハリーは次のように証言している。「ポールはスカと恋に落ちたが、彼はそのサウンドをアメリカ人のミュージシャンに再現させる気にはなれず、ぜひともジャマイカに行って、本物のスカのミュージシャンと仕事がしたいと言い張った。これは革命的な考え方だった」[3]

サイモンはジミー・クリフの反戦歌「Vietnam」のとりこになっていた。曲の結末で、主人公の母親は戦死した息子の遺体が船で運ばれてくるのを待つ。サイモンはもし近しい人がなくなったら自分はどうするのだろうと自問した。この思いが「母と子の絆」のインスピレーションの元となった。彼は「Vietnam」のプロデューサーを務めたレスリー・コング[4]に直接電話し、現地でのレコーディングが決まった。彼とハリーがキングストンのダイナミック・サウンド・スタジオに到着すると、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズとの共演経験があるギタリストのハックス・ブラウンやベーシストのジャッキー・ジャクソン、ドラマーのウィンストン・グレナンらより抜きのミュージシャンたちが待ち受けていた。サイモンが「さあ、スカをプレイしよう」と呼びかけると、彼らはスカはやらないと答えた。「じゃあ君たちは何をやるんだ?」と訊くと、彼らは「レゲエさ」と答えたという。サイモンは続けて言った。「わかった。じゃあレゲエをやろう」[3]

歌詞はまだなかったので、キングストンでのレコーディングでは意味のない言葉を歌った。ニューヨークに戻ったのち、サイモンのボーカル、シシー・ヒューストンらによるバッキング・ボーカル、ラリー・ネクテルのピアノなどがオーバーダビングされた。

当時、サイモンはニューヨークの95丁目にあるアパートに1969年に結婚したペギー・ハーパーと暮らしていた。ある夜、二人はチャイナタウンにある「セイ・エン・ルク」という中華レストランに入った。店のメニューに「母と子の再会(Mother and Child Reunion)」という興味深い料理名があるのを目に留めた。それは鶏肉と卵を使った料理のことだった。歌詞はこの神秘的な言葉から生まれた[2][5]

いや、君に偽りの希望を与えようなんて思っていない
この奇妙で悲しみに満ちた日に
しかし母と子の再会は
わずかなひと押しで叶ってしまう
僕の愛しい人よ — Mother and Child Reunion(ポール・サイモン)[6]

1972年1月14日発売のアルバム『ポール・サイモン』に収録され[7]、1月17日にシングルカットされた。B面は「パラノイア・ブルース」[1]

同年4月1日付のビルボード・Hot 100で4位を記録した[8]。ビルボードのイージーリスニング・チャートでも4位を記録。イギリスは5位、カナダは5位、オーストラリアは5位、アイルランドは15位、南アフリカは1位を記録した。ビルボードの1972年の年間チャートは57位を記録した。

ライブ・バージョンは『ライヴ・ライミン』(1974年)に収録されている。また、2011年4月7日放送の『レイト・ナイト・ウィズ・ジミー・ファロン』に出演した際、ジミー・クリフの「Vietnam」と「母と子の絆」をメドレーで演奏した[9]

カバー

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  • 尾崎紀世彦1972年10月のライブ版・訳詞:千家和也、アルバム『尾崎紀世彦オン・ステージ』 『尾崎紀世彦“ライブ”』に収録)

脚注

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  1. ^ a b 45cat - Paul Simon - Mother And Child Reunion / Paranoia Blues - Columbia - USA - 4-45547
  2. ^ a b Landau, Jon (July 20, 1972). “Paul Simon: The Rolling Stone Interview”. Rolling Stone (113). https://www.rollingstone.com/music/features/the-rolling-stone-interview-paul-simon-19720720 May 27, 2016閲覧。 
  3. ^ a b ロバート・ヒルバーン 著、奥田祐士 訳『ポール・サイモン 音楽と人生を語る』DU BOOKS、2020年3月25日、218-219頁。ISBN 978-4866471174 
  4. ^ 45cat - Jimmy Cliff - Viet Nam / Come Into My Life - Beverley's - Jamaica - S.R. 104
  5. ^ ロバート・ヒルバーン 著、奥田祐士 訳『ポール・サイモン 音楽と人生を語る』DU BOOKS、2020年3月25日、215-216頁。ISBN 978-4866471174 
  6. ^ Mother And Child Reunion”. The Paul Simon Official Site. 2020年12月11日閲覧。
  7. ^ Paul Simon”. The Paul Simon Official Site. 2020年12月11日閲覧。
  8. ^ The Hot 100 - Week of April 1, 1972”. Billboard. 2022年6月2日閲覧。
  9. ^ Paul Simon on Late Night with Jimmy Fallon Date: April 07, 2011”. The Paul Simon Official Site. 2020年12月11日閲覧。