全羅北道 (日本統治時代)
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(全羅北道 (植民地時代)から転送)
位置 | |
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地図 | |
各種表記 | |
ハングル: | 전라북도 |
漢字: | 全羅北道 |
日本語読み仮名: | ぜんらほくどう |
片仮名転写: | チョルラブクト |
英語表記: | Zenrahoku-dō / Jeollabuk-do |
統計 | |
行政 | |
国: | 大日本帝国 |
全羅北道(ぜんらほくどう、チョルラプクト)は、日本統治時代の朝鮮の行政区画の一つ。現在の大韓民国の全北特別自治道と忠清南道の錦山郡にあたる。道庁は全州に置かれた。
概要
[編集]朝鮮西南部、全羅道地方の北部にあたる。北に忠清南道・忠清北道、東に慶尚北道・慶尚南道、南に全羅南道と接する。
人口
[編集]昭和11年現住戸口調査より
- 総人口 1,540,686人
- 内訳
- 内地人 35,844人
- 朝鮮人 1,502,380人
- その他 2,462人
- 内訳
行政区分
[編集]昭和20年(1945年)当時
府
[編集]郡
[編集]- 完州郡
- 草浦面、龍進面、上関面、雨田面、助村面、鳳東面、伊西面、参礼面、所陽面、九耳面、高山面、飛鳳面、雲州面、華山面、東上面
- 鎮安郡
- 鎮安面、上田面、白雲面、聖寿面、馬霊面、富貴面、龍潭面、朱川面、銅郷面、顔川面、程川面
- 錦山郡
- 錦山邑、錦城面、済原面、富利面、郡北面、南一面、南二面、珍山面、福寿面、秋富面
- 茂朱郡
- 茂朱面、茂豊面、雪川面、赤裳面、安城面、富南面
- 長水郡
- 長水面、山西面、蟠岩面、渓内面、天川面、渓南面、渓北面
- 任実郡
- 任実面、青雄面、雲岩面、新平面、聖寿面、屯南面、新徳面、三渓面、館村面、江津面、徳時面、只沙面
- 南原郡
- 南原面、二白面、朱川面、松洞面、周生面、大山面、帯江面、己梅面、徳果面、宝節面、王峙面、金池面、山東面、水旨面、雲峰面、阿英面、山内面、東面
- 淳昌郡
- 淳昌面、仁渓面、東渓面、豊山面、金果面、八徳面、双置面、福興面、赤城面、柳等面、亀林面
- 井邑郡
- 井州邑、新泰仁邑、北面、内蔵面、笠巌面、所声面、古阜面、永元面、徳川面、梨坪面、浄雨面、泰仁面、甘谷面、瓮東面、七宝面、山内面、山外面
- 高敞郡
- 高敞面、古水面、雅山面、茂長面、孔音面、上下面、海里面、星松面、大山面、心元面、興徳面、星内面、新林面、富安面
- 扶安郡
- 扶安邑、東津面、幸安面、上西面、下西面、山内面、茁浦面、保安面、舟山面、白山面
- 金堤郡
- 金堤邑、月村面、竹山面、白山面、龍池面、白鴎面、扶梁面、万頃面、孔徳面、青蝦面、聖徳面、進鳳面、金溝面、鳳南面、凰山面、金山面
- 沃溝郡
- 米面、沃溝面、玉山面、澮県面、臨陂面、瑞穂面、大野面、開井面、聖山面、羅浦面
- 益山郡
- 裡里邑、五山面、北一面、黄登面、咸羅面、熊浦面、聖堂面、龍安面、咸悦面、朗山面、望城面、皇華面、砺山面、金馬面、王宮面、春浦面、八峰面、三箕面
歴代全羅北道知事(道長官を含む)
[編集]1919年8月以前は「全羅北道長官」。
氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|
李斗璜(イ・ドゥファン) | 1910年10月1日 - 1916年3月9日[1] | 全羅北道長官 |
李軫鎬(イ・ジンホ) | 1916年3月28日 - 1921年8月5日 | 1919年8月より全羅北道知事 |
亥角仲蔵(いすみ ちゅうぞう) | 1921年8月5日 - 1925年8月11日 | |
青木戒三(あおき かいぞう) | 1925年8月11日 - 1926年3月8日 | |
渡辺忍(わたなべ しのぶ) | 1926年3月8日 - 1929年1月21日 | |
林茂樹(はやし しげき) | 1929年1月21日 - 1929年12月11日 | |
金瑞圭(キム・ソギュ) | 1929年12月11日 - 1931年9月23日 | |
洪承均(ホン・スンギュン) | 1931年9月23日 - 1932年9月27日 | |
高元勲(コ・ウォンフン) | 1932年9月27日 - 1936年5月21日 | |
金時権(キム・シグォン) | 1936年5月21日 - 1937年4月1日 | |
孫永穆(ソン・ヨンモク) | 1937年4月1日 - 1940年9月2日 | |
李家源甫(りのいえ げんぽ) | 1940年9月2日 - 1942年1月24日 | 李源甫(イ・ウォンボ)で改名 |
金村泰男(かねむら やすお) | 1942年1月24日 - 1943年8月18日 | 金秉泰(キム・ビョンテ)で改名 |
金大羽(キム・デウ) | 1943年8月18日 - 1945年6月16日 | |
草本然基(くさもと ぜんき) | 1945年6月16日 - | 鄭然基(チョン・ヨンギ)で改名、日本統治下最後の知事 |
法院(裁判所)
[編集]昭和16年(1941年)当時
- 全州地方法院
- 全州地方法院南原支庁
- 全州地方法院井邑支庁
- 全州地方法院郡山支庁
刑務所
[編集]昭和16年(1941年)当時
- 全州刑務所
警察
[編集]昭和2年(1927年)当時
- 全羅北道警察部
- 全州警察署
- 郡山警察署
- 鎮安警察署
- 錦山警察署
- 茂朱警察署
- 長水警察署
- 任実警察署
- 南原警察署
- 淳昌警察署
- 井邑警察署
- 高敞警察署
- 茁浦警察署
- 金堤警察署
- 裡里警察署
憲兵警察制度下における憲兵部隊
[編集]大正4年(1915年)当時
- 全州憲兵隊
- 裡里憲兵分隊
- 井邑憲兵分隊
- 南原憲兵分隊
- 錦山憲兵分隊
税務
[編集]昭和16年(1941年)当時
税務署
[編集]- 群山税務署
- 全州税務署
専売局
[編集]昭和16年(1941年)当時
- 全州地方専売局
気象
[編集]昭和17年(1942年)当時
- 全州測候所
鉄道
[編集]昭和20年(1945年)の路線
総督府鉄道
[編集]道路
[編集]昭和2年(1927年)当時
一等道路
[編集]- 京城木浦線
- 全州群山線
二等道路
[編集]- 群山瑞山線
- 全州晋州線
- 永同全州線
- 全州苗浦線
- 全州麗水線
港湾
[編集]昭和6年(1931年)当時
開港
[編集]- 群山港
地方港
[編集]- 茁浦港
鉱山
[編集]- 長水鉱山
神社
[編集]- 全州神社
- 群山神社
- 裡里神社
- 金堤神社
- 共邑神社
- 南原神社
- 瑞穂神社
- 大場神社
- 泰仁神社
- 助村神社
- 新泰仁神社
企業
[編集]道内に本社を有する資本金50万円以上の企業である(昭和15年・1940年当時)
農林水産業
[編集]- 石川県農業
- 中柴産業
- 大橋農場
- 嶋谷農場
- 嶋谷産業
- 橋本農場
- 森菊農場
- 熊本農場
鉱業
[編集]- 東宇興業
製造業
[編集]- 群山造船鉄工
電気業
[編集]- 南朝鮮水力電気
運輸業
[編集]- 全北トラック
- 群山汽船
卸売小売業
[編集]- 全羅産業
- 朝鮮紙業
金融業
[編集]- 朝鮮産興
- 全北無尽
マスメディア
[編集]ラジオ放送局
[編集]昭和20年(1945年)8月当時
- 朝鮮放送協会裡里放送局(呼出符号:JBFK)
日本語新聞
[編集]昭和16年(1941年)当時
- 全北日報
- 群山日報
- 東光日報
出身有名人
[編集]この時代に生まれ育つか、または活躍した者を掲載
脚注
[編集]- ^ 死去。『官報』第1086号、大正5年3月17日。
参考文献
[編集]- 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』(東京大学出版会、1981年)
- 『官報』
関連項目
[編集]
前の行政区画 (二十三府制・十三道制を挟んで) 全羅道 |
全羅北道の 歴史的行政区画 1910年 - 1945年 |
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