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兪炳守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
兪炳守
名前
カタカナ ユ・ビョンス
ラテン文字 Yoo Byung-Soo
ハングル 유병수
基本情報
国籍 大韓民国の旗 韓国
生年月日 (1988-03-26) 1988年3月26日(36歳)
出身地 大邱広域市
身長 183cm
選手情報
在籍チーム タイ王国の旗 チョンブリーFC
ポジション FW
背番号 7
ユース
2007-2008 大韓民国の旗 弘益大学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009-2011 大韓民国の旗 仁川ユナイテッドFC 67 (37)
2011-2013 サウジアラビアの旗 アル・ヒラル 44 (16)
2013-2016 ロシアの旗 FCロストフ 28 (3)
2017-2018 大韓民国の旗 金浦市民FC(公益勤務) 8 (8)
2019 大韓民国の旗 華城FC 19 (7)
2020 タイ王国の旗 MOFカスタムズ・ユナイテッドFC 4 (2)
2020-2021 タイ王国の旗 アユタヤ・ユナイテッドFC 29 (20)
2021- タイ王国の旗 チョンブリーFC 8 (1)
代表歴2
2010-2015 大韓民国の旗 韓国
1. 国内リーグ戦に限る。2021年9月18日現在。
2. 2016年1月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

兪 炳守(ユ・ビョンス、ハングル:유병수、1988年3月26日 - )は、韓国出身のサッカー選手。元韓国代表。ポジションはFW

来歴

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高校時代からストライカーとて注目されていた兪は弘益大学校に進学。在学中の2009年仁川ユナイテッドFCからドラフト1位指名を受け、大学を休学して入団した。

デビュー戦でいきなりゴールを決めるなど新人らしからぬ活躍で早くも仁川の中心選手となり、1年目のシーズンで12得点、2年目では22得点を挙げKリーグ得点王にも輝いた。史上最年少での得点王とKリーグ20得点を達成した。

2009年に韓国代表に初招集され、同年6月のW杯アジア予選の対UAE戦の後半終了間際に初めて交代出場したが、後にこれは公式記録からは抹消された。その後翌年のワールドカップ南アフリカ大会には招集されなかったが、Kリーグ得点王となったことで趙広来監督から評価を受け同年秋の対日本の親善試合で再び招集され初出場。その後AFCアジアカップ2011にも出場したが、グループリーグの対オーストラリア戦で途中交代させられたことを不服として自身のブログに趙監督を批判するような書き込みを行い、物議を醸したが後に書き込みを削除した上で謝罪した[1]

2011年7月、サウジアラビアアル・ヒラルに完全移籍。同年、クラウンプリンスカップで得点王を獲得した。

2013年6月、ロシアFCロストフに完全移籍。しかし、ロシアでは目立った活躍をする事はできず、3シーズンでわずか3得点にとどまった。

2016年7月、兵役のために韓国に帰国。尚州尚武FCへの加入資格がないため、軍隊への入隊ではなく国の機関に勤務する公益勤務を選択し、2017年1月から旧K3リーグ金浦市民FCでプレーした[2]

2018年6月22日に公益勤務が終了し、新天地探しのために25日から新潟県十日町市で合宿を行った横浜F・マリノスの練習に参加[2]。その後、2019年に旧K3リーグの華城FC英語版でプレー。2020年からはタイ王国でプレーしている。

所属クラブ

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獲得タイトル

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個人タイトル

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チームタイトル

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脚注

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  1. ^ “韓国に内紛勃発、若手FWがネット上で采配批判”. サッカーキング. (2011年1月20日). http://www.soccer-king.jp/world/article/201101201800_asian_cup_korea.html 2011年2月16日閲覧。 
  2. ^ a b 舩木渉 (2018年6月25日). “横浜FM、元韓国代表FWがキャンプに参加。指揮官は「どんな選手か見たい」”. フットボールチャンネル. 2021年10月26日閲覧。

外部リンク

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