鄭成龍
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水原三星ブルーウィングス時代(2011年) | ||||||||||||||
名前 | ||||||||||||||
愛称 | ソンリョン、ソンちゃん | |||||||||||||
カタカナ | チョン・ソンリョン | |||||||||||||
ラテン文字 | JUNG Sung-Ryong | |||||||||||||
ハングル | 정성룡 | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 | 大韓民国 | |||||||||||||
生年月日 | 1985年1月4日(39歳) | |||||||||||||
出身地 | 京畿道城南市[1] | |||||||||||||
身長 | 191cm | |||||||||||||
体重 | 91kg | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
在籍チーム | 川崎フロンターレ | |||||||||||||
ポジション | GK | |||||||||||||
背番号 | 1 | |||||||||||||
利き足 | 右足 | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
2003-2007 | 浦項スティーラース | 29 | (0) | |||||||||||
2008-2010 | 城南一和天馬 | 86 | (0) | |||||||||||
2011-2015 | 水原三星ブルーウィングス | 150 | (0) | |||||||||||
2016- | 川崎フロンターレ | 240 | (0) | |||||||||||
代表歴2 | ||||||||||||||
2005 | 韓国U-20 | 5 | (0) | |||||||||||
2007-2008 | 韓国U-23 | 25 | (1) | |||||||||||
2008-2016 | 韓国 | 68 | (0) | |||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月16日現在。 2. 2016年9月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
鄭 成龍(チョン・ソンリョン;朝: 정성룡、1985年1月4日 - )は、大韓民国・京畿道城南市出身のプロサッカー選手[1]。Jリーグ・川崎フロンターレ所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。元韓国代表。
来歴
[編集]京畿道城南市で生まれる[1]。小学5年生のときにサッカーを始め[2][1]、中学2年生でゴールキーパーに転向する[2][1]。高校は済州島にある西帰浦高校に進学[1]。
クラブ
[編集]2003年にKリーグ・浦項スティーラースに入団。最初の3年間はチームに韓国代表の金秉址がいたため公式戦出場はなかったが、金秉址が移籍した2006年からは出場機会を得て、申和容とポジションを争うようになった[2][1]。浦項がリーグ優勝した2007年シーズン、鄭成龍は代表での活動や負傷もあり出場数は多くなかったが、プレーオフでは5試合すべてにフル出場した[2]。2008年に城南一和天馬(現:城南FC)に移籍。兵役でチームを離れた金龍大の後釜として加入し[3][4] 正GKとして安定したプレーを続けた。移籍3年目の2010年にはAFCチャンピオンズリーグに優勝した[1]。
2011年に水原三星ブルーウィングスへ完全移籍。ここでも正GKの座を守り5年間プレーしACLにも3度出場した。
2016年よりJリーグ・川崎フロンターレに完全移籍[5]。同クラブにとっては初の韓国代表選手となる。加入1年目からレギュラーとして出場した。
2017年、守護神としてポジションを確立すると、シーズンを通して安定したパフォーマンスを発揮しクラブ初のリーグ優勝に貢献。
2018年もレギュラーとして出場し2年連続のリーグ優勝に貢献、自身もJリーグベストイレブンに初選出された[6]。
2019年4月14日のサガン鳥栖戦でリーグ通算100試合出場を達成した[7]。夏頃からパフォーマンスの低下により、新井章太にポジションを奪われ控えに回った。その後、第33節の横浜F・マリノス戦で久々のスタメン出場を果たすも、チームは1-4で敗れた。
2020年は新井の移籍に伴い、ポジションを再確保すると、ハイパフォーマンスを披露。来日後初となる、リーグ戦全試合フル出場を果たし、自身2度目となるJリーグベストイレブンに選出された。
2023年、上福元直人が加入し、9節からの10試合は上福元が先発で起用されたが[8]、その後はレギュラーに返り咲いた。同年の天皇杯決勝の柏レイソルとの対戦では、細谷真大との1対1の場面を好セーブで防ぐと、PK戦において、10人目のキッカーとしてPKを成功させ、柏の松本健太のPKをセーブし、優勝に貢献した[9]。
代表
[編集]2006年に初招集されたものの、当時は正GKの李雲在だけでなく、金龍大、金永光といった実績のあるメンバーがいたためベンチにすら入れない機会が続いた。
しかし2007年末に李がトラブルを起こし、2年間の代表出場停止処分となったため、2008年1月30日のチリ戦で代表デビューを飾る。その後も2010年FIFAワールドカップのアジア地区予選7試合に出場し3失点に抑えた。同年の北京オリンピック代表にも選ばれ全3試合に出場したが、1勝1敗1分けの3位で決勝トーナメント進出はならなかった。
李の復帰後はベンチに入る機会が多かったことから、本大会でもベンチに入ることが確実視された。しかし、李の不調や鄭成龍が瞬発力と空中戦に強さがあることから、本大会では正GKに抜擢され、全4試合に出場。決勝トーナメント進出を果たした。李は大会後に代表を引退し、その後は鄭成龍が正GKとして定着している。
2012年のロンドンオリンピックにもオーバーエイジ枠として選ばれ、グループリーグでは全試合に出場、1失点に抑え1勝2分けの2位で決勝トーナメントに進出、準々決勝では地元・イギリス相手に1-1の場面で勝ち越しを許すピンチの場面でアーロン・ラムジーのPKをセーブ、その後自身は後半途中に負傷し、李範永と交代、その後PK戦にもつれ込んだが、李が5人目のダニエル・スタリッジのシュートを横っ飛びでセーブし、韓国は初の準決勝に進出した。準決勝のブラジル戦では負傷の関係もあってベンチだったものの、3位決定戦での日本戦では再びスタメンに復帰、無失点に抑え、アジア勢では1968年メキシコシティーオリンピックでの日本と並ぶ、韓国史上初となる銅メダルを獲得した。
この活躍により、オリンピック韓国代表の監督を務め、2014 FIFAワールドカップ出場決定後に崔康熙の後任として、代表監督に就任した洪明甫の信頼を掴み、2013年頃からリーグ戦での不調や安定感を欠く場面が見られたが、2014 FIFAワールドカップ本大会でも正GKの座を勝ち取った。 しかし、初戦のロシア戦では1点リードを守り切れず、勝ち点3を逃すと、第2戦のアルジェリア戦では自身の判断ミスもあり、4失点で敗戦、最終戦のベルギー戦ではKリーグで最高の防御率0点台を記録した金承奎にスタメンの座を譲った。韓国はベルギーにも敗れ、1分け2敗の勝ち点1の最下位に終わり、2大会ぶりの1次リーグ敗退、未勝利での敗退は1998 FIFAワールドカップ以来16年ぶりの出来事であった。
W杯終了後は代表から遠ざかっていたが、2016年9月に行われるロシアW杯最終予選中国代表、シリア代表戦のメンバーに選出された。中国との試合に先発出場を果たしたが、シリアとの試合では控えとなり、その試合以降は代表に選出されていない。
エピソード
[編集]- 2008年7月27日、北京オリンピック代表でのコートジボワールとの親善試合で、自陣からのロングキックがそのまま相手ゴールに入った。
- 私生活においては、2008年に結婚。妻は2006年度のミス・コリア。南アフリカワールドカップ中の6月18日に長男が産まれた。そのこともあって大会中、チームがゴールを決めると、「ゆりかご」のダンスをした。
- 2017年には川崎フロンターレの副キャプテンを務めた。
- 2018年度JリーグAWARDS表彰式の壇上で、「憧れの選手は川口能活」と答え、会場を沸かせた。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 浦項 | Kリーグ/ Kクラシック |
0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
2004 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2005 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2006 | 15 | 0 | 11 | 0 | 1 | 0 | 27 | 0 | |||
2007 | 31 | 14 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 19 | 0 | ||
2008 | 城南一和 | 30 | 27 | 0 | 7 | 0 | 2 | 0 | 36 | 0 | |
2009 | 1 | 29 | 0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 37 | 0 | ||
2010 | 30 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 33 | 0 | |||
2011 | 水原三星 | 30 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 36 | 0 | ||
2012 | 33 | 0 | - | 2 | 0 | 35 | 0 | ||||
2013 | 38 | 0 | - | 2 | 0 | 40 | 0 | ||||
2014 | 38 | 0 | - | 1 | 0 | 39 | 0 | ||||
2015 | 22 | 0 | - | 1 | 0 | 23 | 0 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2016 | 川崎 | 1 | J1 | 29 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 35 | 0 |
2017 | 33 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 37 | 0 | |||
2018 | 31 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 33 | 0 | |||
2019 | 27 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 28 | 0 | |||
2020 | 34 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 40 | 0 | |||
2021 | 33 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 40 | 0 | |||
2022 | 31 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 34 | 0 | |||
2023 | 22 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 28 | 0 | |||
通算 | 韓国 | Kクラシック | 265 | 0 | 28 | 0 | 21 | 0 | 314 | 0 | |
日本 | J1 | 240 | 0 | 15 | 0 | 20 | 0 | 275 | 0 | ||
総通算 | 505 | 0 | 43 | 0 | 41 | 0 | 589 | 0 |
- その他公式戦
- 2016年
- Jリーグチャンピオンシップ:1試合0得点
- 2018年
- FUJI XEROX SUPER CUP:1試合0得点
- 2019年
- FUJI XEROX SUPER CUP:1試合0得点
- 2021年
- FUJI XEROX SUPER CUP:1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2010 | 城南一和 | 1 | 11 | 0 | 3 | 0 |
2011 | 水原三星 | 10 | 0 | - | ||
2013 | 5 | 0 | - | |||
2015 | 3 | 0 | - | |||
2017 | 川崎 | 9 | 0 | - | ||
2018 | 4 | 0 | - | |||
2019 | 6 | 0 | - | |||
2021 | 6 | 0 | - | |||
2022 | 6 | 0 | - | |||
2023-24 | 5 | 0 | - | |||
通算 | AFC | 65 | 0 | 3 | 0 |
- Jリーグ初出場 - 2016年2月27日 J1 1st第1節 サンフレッチェ広島戦(エディオンスタジアム広島)
代表歴
[編集]- U-23韓国代表
- 2008年 北京オリンピック
- 2012年 ロンドンオリンピック韓国代表 (オーバーエイジ)
- 韓国代表
- 2010年・2014年 FIFAワールドカップ韓国代表
- 2007年・2011年・2015年 AFCアジアカップ韓国代表
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 68試合(2008年-2018年)[10]
韓国代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2008 | 12 | 0 |
2009 | 0 | 0 |
2010 | 12 | 0 |
2011 | 17 | 0 |
2012 | 5 | 0 |
2013 | 12 | 0 |
2014 | 7 | 0 |
2015 | 1 | 0 |
2016 | 2 | 0 |
通算 | 68 | 0 |
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- 浦項スティーラース
- 城南一和天馬
- AFCチャンピオンズリーグ:1回(2010年)
- 川崎フロンターレ
- J1リーグ :4回(2017年、2018年 、2020年、2021年)
- Jリーグカップ:1回(2019年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:2回(2019年、2021年)
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:2回(2020年、2023年)
個人
[編集]- Jリーグベストイレブン:2回(2018年、2020年)
- Jリーグ優秀選手:2回 (2018年、2020年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h “F-スポット - ピックアッププレイヤー”. 川崎フロンターレ (2016年7月). 2017年6月27日閲覧。
- ^ a b c d “[한국축구유망주 49] 정성룡' 한국 최고 골키퍼를 향해”. 大韓サッカー協会 (2008年2月15日). 2017年6月27日閲覧。
- ^ 황삼진 (2011年3月2日). “이운재를 밀어낸 정성룡의 놀라운 성장세”. KsportTV. 2017年6月27日閲覧。
- ^ “[2008 K-리그 프리뷰①] 포항-성남-광주-부산-울산-대구-수원”. 大韓サッカー協会 (2008年3月7日). 2017年6月27日閲覧。
- ^ チョン ソンリョン選手加入のお知らせ選手加入のお知らせ - 川崎フロンターレオフィシャルサイト(2015年12月24日閲覧)
- ^ 「2018 Jリーグアウォーズ」各賞受賞のお知らせ - 川崎フロンターレオフィシャルサイト(2018年12月18日閲覧)
- ^ 川崎Fの守護神チョン・ソンリョンの凄み。妥協なき「準備」、異国で100試合出場達成の要因 フットボールチャンネル 2019年4月22日
- ^ “三笘薫、田中碧、板倉滉、旗手怜央...川崎フロンターレのGKチョン・ソンリョンが近くで見てきたサッカー日本代表選手を語る”. スポルティーヴァ (3 December 2023). 9 December 2023閲覧。
- ^ “【川崎F】守護神GKチョン・ソンリョン好セーブに鮮やかPK SNSも興奮”. 日刊スポーツ (9 December 2023). 9 December 2023閲覧。
- ^ 鄭成龍 - National-Football-Teams.com
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 鄭成龍 - Olympedia
- 鄭成龍 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 鄭成龍 - National-Football-Teams.com
- 鄭成龍 - Soccerway.com
- 鄭成龍 - Soccerbase.comによる選手データ
- 鄭成龍 - FootballDatabase.eu
- 鄭成龍 - WorldFootball.net
- 鄭成龍 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 鄭成龍 - FIFA主催大会成績
- 鄭成龍 - UEFA
- 鄭成龍 - ゲキサカ
- 川崎フロンターレによる公式プロフィール
- National Team Player Record
- 鄭成龍 (@sungryongNO1) - X(旧Twitter)
- 鄭成龍 ミニホームページ - サイワールド
- 鄭成龍 (@jung.sung.ryong) - Instagram
- 韓国のサッカー選手
- サッカー韓国代表選手
- オリンピックサッカー韓国代表選手
- サッカーのオリンピックメダリスト
- 韓国のオリンピック銅メダリスト
- 2008年北京オリンピックサッカー出場選手
- 2012年ロンドンオリンピックサッカー出場選手
- FIFAワールドカップ韓国代表選手
- 2010 FIFAワールドカップ出場選手
- 2014 FIFAワールドカップ出場選手
- AFCアジアカップ2007出場選手
- AFCアジアカップ2011出場選手
- AFCアジアカップ2015出場選手
- 韓国のアジア競技大会選手
- 浦項スティーラースの選手
- 城南FCの選手
- 水原三星ブルーウィングスの選手
- 川崎フロンターレの選手
- 在日韓国人
- 城南市出身の人物
- 済州特別自治道出身の人物
- 1985年生
- 存命人物