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八幡一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八幡 一郎
人物情報
生誕 (1902-04-14) 1902年4月14日
日本の旗 日本長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市
死没 1987年10月26日(1987-10-26)(85歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 日本考古学
研究機関 東京教育大学
上智大学
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八幡 一郎(やわた いちろう、1902年4月14日 - 1987年10月26日)は、日本考古学者。 専攻は縄文時代民具の研究[1]

経歴

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長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市)に生まれる。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)時代に鳥居龍蔵に随行して長野県諏訪地方の考古学調査に同行[2]、その後、東京帝国大学(現・東京大学理学部人類学科にて同じく鳥居に人類学を学ぶ[3]。1924年東京帝大選科修了、同副手。各地の考古学調査に参加し、1931年に東大人類学教室助手。1934年(昭和9年)に日本民族学会創立、発起人となる。後同科講師、東京国立博物館学芸部考古課長、1962年東京教育大学教授、1966年上智大学教授を歴任し、中国ミクロネシアでも考古学調査を実施した。

主要業績

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  • 「土器・石器」(古今書院 1930)
  • 「日本石器時代文化」(鎌倉書房 1947)
  • 「日本史の黎明」(有斐閣 1953)
  • 「日本文化のあけぼの」(日本歴史叢書 吉川弘文館 1968)
  • 「年譜・著作目録」(上智史学18号 1973)

主要論文

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共著

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脚注

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  1. ^ 日本史研究者辞典 p.337
  2. ^ 「諏訪史」大正13年 序文
  3. ^ 「八幡一郎著作集」より

参考文献

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関連項目

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