八幡山砦 (藤枝市)
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八幡山砦 (静岡県) | |
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麓から見た八幡山砦(青山八幡宮) 2020年(令和2年)1月1日撮影。 | |
別名 | 八幡砦 |
城郭構造 | 砦 |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明(徳川氏?) |
築城年 | 不明(1579年(天正7年)頃?) |
主な改修者 | 不明 |
主な城主 | 不明(徳川氏?) |
廃城年 | 不明(16世紀?) |
遺構 | 竪堀、曲輪、土塁 |
指定文化財 | 未指定 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯34度53分03.5秒 東経138度16分23.0秒 / 北緯34.884306度 東経138.273056度座標: 北緯34度53分03.5秒 東経138度16分23.0秒 / 北緯34.884306度 東経138.273056度 |
地図 |
八幡山砦(やはたやまとりで)は、静岡県藤枝市八幡(やわた)[注釈 1]にあった中世の砦。
概要
[編集]
西側から撮影。画像中央の小丘にある
藤枝市北部の潮山から南東へ延びた尾根筋末端の、現在青山八幡宮が鎮座する標高50メートルほどの小丘にある[1]。青山八幡宮のある山頂を本曲輪とし、八幡宮本殿背後に土塁が残る。四方に伸びる尾根筋にも腰曲輪や虎口、竪堀などが配置されている[2]。
岡部氏の城とされる朝日山城の南東2.2キロメートルに位置することから、朝日山城の出城ではないかとも言われるが、史料に記録がないため、城主など詳細不明の城郭である[1]。
城郭遺構の向きが、南方の田中城を意識して造られたと思われることを根拠として、1575年(天正3年)の長篠の戦い以降、駿河攻略に乗り出した徳川家康の軍が、1579年(天正7年)頃から本格的に田中城に拠る武田軍を攻撃するための前線として潮城と同じく築いた、との見解もある[2][3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 地名は「やわた」だが砦の名は「やはた」と読まれる。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 静岡県教育委員会文化課編 1981「八幡山砦」『静岡県の中世城館跡(静岡県文化財調査報告書 第23集)』 pp.247(※静岡県教育委員会編 2001『都道府県別・日本の中世城館調査報告書集成』第9巻〈中部地方の中世城館3-静岡-〉所収)
- 水野茂 2012 「八幡山砦」『静岡県の城跡-中世城郭縄張図集成-』『静岡県の城跡』編纂委員会 pp.201