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八村信三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

八村 信三(はちむら のぶぞう[1][2]1908年明治41年)12月29日[1] - 没年不明)は、日本実業家鳥取銀行頭取[3]鳥取ガス元監査役[3]鳥取商工会議所元会頭[3]鳥取県経済同友会元代表幹事(東部)[4]。旧姓・山田[5]

経歴

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大阪府布施市(現:東大阪市)の素封家・山田勝太郎の次男として生まれる[6]大阪府立天王寺中学校静岡高等学校を経て[6]1934年(昭和9年)東京帝国大学経済学部を卒業[1][3][5]

1934年(昭和9年)7月、鳥取市の素封家・八村八太郎の養嗣子となる[6][注 1]

1936年(昭和11年)鳥取市収入役となり、同市助役を経て、1944年(昭和19年)退任[3]1949年(昭和24年)鳥取銀行常務、1959年(昭和34年)専務、1961年(昭和36年)副頭取を経て、同年11月頭取に就任[8]1980年(昭和55年)6月会長に就任[3]

1941年(昭和16年)昭和信用組合(現:昭和信用金庫)監査に就任[3]

人物

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八村の人柄は、『財界家系譜大観 第8版』で「まじめで温容、情操が豊かで、人間的な暖かさを感じさせ、銀行内においても信頼度が高い。洞察力にすぐれ、人の気をつかむのが早く、切れのいい判断、おもいきった決断性は現代の経営者として比類ない能力をもっている一人といえる」と評されている[2]

趣味は茶道謡曲囲碁[1][3]。住所は鳥取市大榎町[1][2]

栄典

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家族・親族

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八村家
親戚
  • 石破二朗(鳥取県知事、参議院議員)
  • 妻の父・西尾善孝(鳥取貯蓄銀行(現:鳥取銀行)元取締役)[3][10]

脚注

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注釈

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  1. ^ 八村家は鳥取市元魚町1丁目で呉服商を営んでいたが、1887年(明治20年)頃に廃業した[7]。先代八太郎は長年鳥取市会議員として、副議長に推挙されるなど市政に貢献した人物である[6][7]

出典

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  1. ^ a b c d e f 『人事興信録 第24版 下』や14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月29日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 『財界家系譜大観 第5版』648頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月29日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『人事興信録 第34版 下』人事興信所、1987年、は - 80頁。 
  4. ^ 鳥取経済同友会 » 歴代代表幹事鳥取経済同友会”. www.toridoyu.jp. 2024年9月28日閲覧。
  5. ^ a b 『会員氏名録 昭和26・27年用』ハ418頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月29日閲覧。
  6. ^ a b c d 新鳥取社. “鳥取県名士百伝”. dl.ndl.go.jp. p. 47. 2024年9月29日閲覧。
  7. ^ a b c 『因幡人事興信録』は135頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月29日閲覧。
  8. ^ 沿革|会社情報|鳥取銀行について|鳥取銀行”. www.tottoribank.co.jp. 2024年9月28日閲覧。
  9. ^ a b 役員名簿”. 滋賀県地域情報化推進会議. 2024年9月29日閲覧。
  10. ^ 西尾善孝 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2024年9月28日閲覧。

参考文献

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  • 荒木義雄編『因幡人事興信録』因幡人事興信録編纂所、1923年。
  • 『鳥取県名士百伝』新鳥取社、1937年。
  • 『会員氏名録 昭和26・27年用』学士会、1951年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第24版 下』人事興信所、1968年。
  • 『財界家系譜大観 第5版』現代名士家系譜刊行会、1982年。
  • 人事興信所 編『人事興信録 第34版 下』人事興信所、1987年。
  • 『財界家系譜大観 第8版』現代名士家系譜刊行会、1988年。