兼重元可
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代 |
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生誕 | 慶長元年(1596年) |
死没 | 延宝2年10月12日(1674年11月9日) |
別名 | 通称:弥三郎、弥兵衛、新左衛門、三右衛門 |
官位 | 下総守 |
主君 | 毛利秀就→綱広 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 大江姓毛利氏庶流兼重家 |
父母 | 父:兼重元続、母:赤川元秀の娘 |
兄弟 | 元辰、元可、女(照林坊室)、女(長屋就之室)、女(羽仁彦左衛門室)、女(楢崎元景室)、女(平佐就重室) |
子 | 政宣 |
兼重 元可(かねしげ もとよし)は、江戸時代初期の毛利家家臣、長州藩士。家格は遠近附、300石。父は兼重元続、兄は兼重元辰。
生涯
[編集]慶長元年(1596年)に毛利家臣の兼重元続の次男として生まれ、毛利秀就、綱広の2代に仕えた。
兄・元辰が父・元続に先立って元和3年(1617年)に死去し、元和6年(1620年)5月28日に元続は病を理由として毛利輝元と秀就に願い出て、元辰の子の就継が15、6歳くらいになるまでは元可が代わりに役目を務めることとし、元可には元続の知行890石のうち300石が分与された。
延宝2年(1674年)10月12日に死去した。享年79。五男の政宣が跡を継いだ。