内堀維文
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内堀 維文(うちぼり これぶみ、明治5年4月13日(1872年6月18日) - 昭和8年(1933年)1月1日)は、日本の教育者。
経歴
[編集]肥後国玉名郡南関村(現在の熊本県玉名郡南関町)出身。1898年(明治31年)、東京高等師範学校文科を卒業。東京高等師範学校助教諭・訓導、同舎監・教諭を務めた。1903年(明治36年)、清の招聘により山東省師範学堂総教習として赴任。1909年(明治42年)に帰国した後は、神奈川県師範学校校長、静岡県師範学校校長、長野県師範学校校長を歴任した。1917年(大正6年)に満州に渡り、南満中学学堂校長、奉天中学校校長を務めた。1923年(大正12年)、旅順工科大学予科教授に就任し、のち旅順第二中学校校長を兼任した。1928年(昭和3年)に退官した後は、大東文化学院教授に就任した。
著書
[編集]- 『中学漢文入門教授法』(金港堂、1900年)
- 『中等教育漢文教授法』(金港堂、1903年)
- 『実用教育学』(晩成処、1905年)
参考文献
[編集]- 信濃教育会編『教育功労者列伝』信濃教育会、1935年。 pp.399-400
公職 | ||
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先代 (新設) |
旅順第二中学校長 1924年 - 1928年 |
次代 飯河道雄 |
先代 星菊太 |
長野県師範学校長 1915年 - 1917年 |
次代 小島政吉 |
先代 静岡県師範学校長 角谷源之助 |
静岡県静岡師範学校長 1914年 - 1915年 静岡県師範学校長 1913年 - 1914年 |
次代 星菊太 |
先代 中山民生 |
神奈川県師範学校長 1909年 - 1913年 |
次代 里村勝次郎 |
その他の役職 | ||
先代 飯河道雄 |
南満中学堂長 1917年 - 1923年 |
次代 池上庄治郎 |
先代 (新設) |
奉天中学校長 1919年 - 1923年 |
次代 馬屋原三喜男 |