内守谷村
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うちもりやむら 内守谷村 | |
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廃止日 | 1956年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 水海道市、内守谷村、菅生村 → 水海道市 |
現在の自治体 | 常総市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 茨城県 |
郡 | 北相馬郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 5.83 km2 |
総人口 |
1,921人 (1950年10月1日) |
隣接自治体 | 水海道市、北相馬郡菅生村、小絹村、守谷町 |
内守谷村役場 | |
所在地 | 茨城県北相馬郡内守谷村2749番地 |
座標 | 北緯35度59分15秒 東経139度57分30秒 / 北緯35.98758度 東経139.95831度座標: 北緯35度59分15秒 東経139度57分30秒 / 北緯35.98758度 東経139.95831度 |
ウィキプロジェクト |
内守谷村(うちもりやむら)は、郡区町村編制法以前より1956年(昭和31年)4月1日まで存在した茨城県北相馬郡の村。現在の茨城県常総市南西部。
地理
[編集]茨城県北相馬郡西部にあった村。旧北相馬郡のうち鬼怒川西岸に存在した3村(1889年以前は4村)のうちの1つで、旧村域の東端には鬼怒川が流れる。
現在の地名では内守谷町、内守谷町きぬの里に相当する。
地域
[編集]- 大字なし
- (字)鹿小路、長ノ入、向地ほか
歴史
[編集]942年(天慶5年)に開創され、古くは守谷郷と称した(景行天皇の時代(71年 - 130年)より、現在の守谷市中心部を守谷郷と称したが、それとは別である)。しばらくは内本郷と新郷とに分かれていたが、1185年(文治元年)に合併し、それ以降内守谷となっている。 1954年(昭和29年)3月時点では、北相馬郡の鬼怒川西岸3村(坂手村、菅生村、内守谷村)での合併案が出されていたが、同年6月17日には菅生村、小絹村との合併案に変更された(坂手村は同年7月に水海道市に編入)。その後、菅生村と共に水海道市に編入される案が示され、1956年(昭和31年)4月1日に旧結城郡を中心に構成されていた水海道市(常総市)に編入された[1]。なお、現在では旧北相馬郡のうち、鬼怒川西岸3村にあたる地域は県西地域、東岸は県南地域に属する。
沿革・年表
[編集]- 942年(天慶5年) - 開創され、守谷郷と称する。
- 1185年(文治元年) - 内本郷と新郷に分かれていたが、合併し、内守谷となる。
- 1873年(明治6年)6月15日 - 廃藩置県により、相馬郡が千葉県所属となる。
- 1875年(明治8年)5月7日 - 相馬郡のうち、利根川以北が茨城県に移管。
- 1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法が施行され、相馬郡が2つに分割され、北相馬郡が成立する。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、北相馬郡内守谷村が発足。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 内守谷村と菅生村が水海道市に編入され、内守谷村は消滅。
地域の変遷
[編集]市町村域
[編集]1878年7月21日以前 | 1878年7月22日 - 1956年3月31日 | 1956年4月1日 - 2006年1月1日 | 現在 |
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相馬郡内守谷村 | 北相馬郡内守谷村 | 水海道市 | 常総市 |
施設
[編集]- 内守谷村立内守谷小学校
- 玉台橋
脚注
[編集]- ^ 茨城県市町村合併史