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北野幹子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
内海ミキから転送)
北野 幹子
別名義 司ミキ
渚ミキ
内海ミキ
生年月日 1951年(72 - 73歳) 
出身地 日本の旗 日本 大阪府
最終学歴 武庫川女子大学短期大学部卒業
師匠 ピンアップ敦子
前田五郎
内海桂子・好江
コンビ名 ミキ&ミワ
相方 司ミワ(ミキ&ミワ時代)
内海ミチ
芸風 漫才
他の活動 実業家
配偶者 ビートたけし(北野武)1980年 - 2019年
親族 小原教応(祖父)
松田秀士(弟)
北野井子(長女)
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北野 幹子(きたの みきこ、1951年 - )は、1970年代に活動した大阪府出身の女性漫才師。旧姓:松田

人物

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元夫はタレント漫才師映画監督ビートたけし(北野武)。子供は長男と、長女の北野井子。また、弟はレーシングドライバーの松田秀士

実家は大阪の寺[1]で、母方の祖父が高知県の社会運動家小原教応。武庫川女子大学附属高等学校を経て、武庫川女子大学短期大学部卒業。在学中にピンアップトリオのピンアップ敦子の門下に入る。司ミキの名で司ミワと組んで、ミキ&ミワの女子大生コンビとして1971年に漫才師デビュー[2]。すぐ渚ミキに改名させられる、その後、前田五郎に一時師事した後、東京に移り内海桂子内海好江の門下となり、内海ミキと名乗り内海ミチ(野々深知)と組むも2年で解散[3]

1978年にアシスタントを務めていた『大正テレビ寄席』でツービートビートたけしと知り合って同棲、1980年結婚。たけしが売れない時代は近所のスナックでアルバイトをして家計を支えた。1981年3月に長男、1982年10月に長女の井子を出産。たけしはいつ結婚したかの覚えはないというが、1983年に正式に入籍した[2][4]

結婚後は引退していたが、1981年10月10日に放送のバラエティ番組オレたちひょうきん族』の「ひょうきん夫婦漫才」という企画では、たけしと組んだ夫婦漫才を披露した。この回の視聴率は13.4%だった[5]。また、1993年頃には北野ファンクラブで頻繁にネタにされていた。

長らくたけしの収入を管理する会社の代表を務め[6]、2019年に協議離婚。たけしからの財産分与は100億円とも報じられた[7]

出典

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  1. ^ オールナイトニッポン&高田文夫編『ビートたけしの不幸中の幸い』ニッポン放送、1986年、p.175
  2. ^ a b 『女性セブン』1987年10月15日号
  3. ^ たけし夫人と漫才コンビ「ミキ&ミチ」組んだ 野々深知は今”. 日刊ゲンダイ (2014年5月7日). 2014年5月18日閲覧。
  4. ^ 北野武『余生』ロッキング・オン、2001年、p.76
  5. ^ 高田文夫責任編集『笑芸人』1999冬号 VOL.1、白夜書房さ、1999年、pp.20、98
  6. ^ たけし所属事務所否定「男女の仲ではない」49歳愛人と“同棲”報道”. スポーツニッポン (2014年7月10日). 2014年7月10日閲覧。
  7. ^ “ついに離婚成立のビートたけしは決して強い男ではない…母性への強い依存と死への思い”. スポーツ報知. (2019年6月15日). https://hochi.news/articles/20190613-OHT1T50131.html 2020年2月2日閲覧。 

関連項目

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