内田正道
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文政11年7月17日(1828年8月27日) |
死没 | 嘉永4年5月7日(1851年6月6日) |
墓所 | 東京都台東区蔵前の竜宝寺 |
官位 | 従五位下、豊後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下総小見川藩主 |
氏族 | 内田氏 |
父母 | 父:内田正容、母:不詳 |
兄弟 | 正道、正徳、正縄 |
妻 | 正室:五島盛成の娘 |
子 | 録子(内田正学正室)、養子:正徳 |
内田 正道(うちだ まさみち)は、江戸時代後期の大名。下総小見川藩の第7代藩主。小見川藩内田家10代。
生涯
[編集]文政11年(1828年)7月17日、第6代藩主・正容の長男として生まれる。天保8年(1837年)8月14日、父が強制的に隠居させられたため、その跡を継いで藩主となる。天保13年(1842年)12月に叙任する。日光祭祀奉行、大坂城加番などを歴任したが、嘉永4年(1851年)5月7日に死去した。享年24。
弟の正徳が養子として跡を継いだ。
系譜
[編集]父母
- 内田正容(父)
正室
- 清 ー 五島盛成の娘
子女
- 内田録子 ー 内田正学正室
養子
- 内田正徳 ー 実弟